道長(柄本佑)にふりかかる「因果応報」
道長が再び病に伏せるまでの間、2人に訪れた穏やかな時間は、ある意味ここまで必死にやってきたことへのご褒美と言えるかもしれない。まひろの家では、年老いたいと(信川清順)に認知症の症状が現れるも、為時(岸谷五朗)が惟規(高杉真宙)のフリをしてみんなと笑い合う。ちやはや惟規が若くして亡くなったり、為時が職を失って、貧しい生活を強いられたりと、心労の多い人生だったと思うが、最後にいとが心安らかな日々を送ることができて良かった。
道長は、公任(町田啓太)、斉信(金田哲)、行成(渡辺大知)ら青春時代を共に送った仲間たちと酒の席で「最近、厠=トイレが近い」という話題で盛り上がる。いつの時代も、加齢とともに現れる症状や悩みは同じ。千年以上も昔の物語なのに、本作はそういう何気ない会話で身近に感じさせてくれた。
そんな微笑ましいシーンが続くも、ラストは「因果応報」という言葉が頭をよぎる展開となる。六女・嬉子(瀧七海)が東宮・敦良親王の皇子を産んだ直後に亡くなったのを皮切りに、蔵人頭になれず出家した三男・顕信(百瀬朔)、皇太后となった次女・妍子(倉沢杏菜)と、立て続けに子供たちに先立たれた道長。隆家(竜星涼)はこのことについて、まひろに「我が子を道具のように使うた因果だ」と語る。
その言葉通り、道長は権力闘争そのものには抗う一方で、政の主導権を握るためには皮肉にも権力を持たねばならず、ゆえに多くの人間の尊厳を踏み荒らしてきた。仕方ないと言えばそれまでだが、地位を返上し、無用な争いから抜け出した隆家のような生き方もまた、道長が理想とする未来への礎となる可能性もある。
道長がその生き方を選べなかったのは、心底惚れたまひろから「直秀のような理不尽な殺され方をする人が出ないように、より良き政をする使命がある」と言われたからだ。厳しい言い方をすれば、まひろは元々は権力欲がなく穏やかだったかもしれない道長の人生を狂わせた、とも言える。