端島に暮らした人々が確かに存在した証
さて、端島に生きた人々の活気ある営みから、令和の現代に生きる人々が抱える虚しさまで、70年にわたる壮大なスケールで紡がれた『海に眠るダイヤモンド』は、いったい何を描こうとした物語なのだろう。
本作は、ひとつのジャンルにとどまらず、さまざまな要素が詰め込まれている。それは現実に生きる私たちが、恋愛や仕事といったカテゴリーだけに収まらないのと同じ。あくまでも鉄平や朝子、百合子(土屋太鳳)や賢将(清水尋也)、リナたちの日々の営みの中に、仕事があり、恋愛がある。
本作にあえてテーマをつけるとしたら、“歴史の語り直し”になるだろう。それは、第1話で玲央に「廃墟じゃない」と悔しそうな声を漏らしたいづみ(宮本信子)や、被曝を経験した百合子が「被爆した人には終わってない!」と放ったセリフにも感じられる。
今は観光スポットとして(言わば)商業化された端島に、暮らしていた人々が確かに存在した証を残そうとしているのではないだろうか。
それはかつての『アンナチュラル』(2018、TBS系)や『MIU404』(2020、TBS系)、さらには映画『ラストマイル』(2024)にも通ずる、野木亜紀子らしい「光のあたらなかった人々を照らす物語」だ。
終わりがあるゆえに美しいのではなく、その場所でしっかりと根を張り、日々を生きた人々がいたからこそ、端島は美しい。実在していた人々をエモーショナルに昇華させないところにも強い意志を感じた。