あなたが何かに失敗して泣いた今日が、誰かが笑う100年後に繋がっているかもしれない
今、この瞬間はあらゆる人の選択の上に成り立っている。大きなことを成し遂げた人でなければ、未来には何も残せないと思うだろう。だけど、例えば、あなたが何かに失敗して泣いた今日が、一度も会うことのない誰かが笑う100年後に繋がっているかもしれないという可能性を示してくれたのが、この作品だった。
その可能性に希望を見出し、日々を前向きに生きれるか、それとも意味のないことだと吐き捨て、自分の幸せだけを追求していくかは人それぞれで、どちらが正しいとか正しくないかを論じる必要はない。だけど、少なくとも鉄平は前者で、遠くで朝子の幸せを願いながら、彼女の目につかない場所で生き続けた。
それは自己犠牲とは異なる。晩年、鉄平がボランティアをしながら暮らした一軒家には、端島を望む庭に朝子が好きだったコスモスが咲いていた。そこで彼が何を思っていたのかはドラマでは明かされていない。
だけど、端島で外勤として過ごした日々や、朝子に対する思いは、決して鉄平の胸を痛めるものではなかったのだと思う。それらは鉄平がヤクザに追われながらも、生きる上で支えとなる大事な“ねっこ”となり、最終的に美しい花を咲かせた。