幸せを享受することへの怖さ
葉子にとっては世間に干渉されないための処世術だったが、それが都子と潮の足枷にならないように、結婚しなかったのは2人のせいではないことを告げる。でも、都子がユンスからのプロポーズを受け入れられないのは、潮が家を出て百目鬼と暮らすことに躊躇するのは、葉子のことだけが理由じゃない。
そこには、幸せを享受することへの怖さがある。2人はある日突然、命を奪われた両親や祖母のように、人生には「まさか」ということが起きるのを知っているから。ましてや、都の相手は外国人で、潮の相手は同性。本作ではどちらも「特別なこと」として描かれてはいないが、それでも全く問題がないわけではない。
ただ、2人に限った話ではなく、希望が持てない、あるいは目の前に大きな希望があっても、あとで何かしっぺ返しがある気がして、素直に受け取れないという感覚は、長く続く不景気や新型コロナ、気候変動による自然災害を経験してきた我々なら誰もが持っているものではないだろうか。
あぁ、わかるなあと思わされた。だけど、そんな中でも一緒に幸せになろうとしてくれている人に、都子と潮は寂しい思いをさせていた。「僕は常々人といる孤独がつらいと考えている。何よりも。だったら、独りでいる方がマシだよ」という百目鬼の台詞が心の刺さる。