今一度考えるべき「言葉」の力
パワハラ被害を訴えた人がいる、という事実を認めつつ、「被害を訴えた方がいる、イコール加害者がいる、じゃないからね。おもしろがってそういう社会にしちゃうとブーメランだから」と言い返す。
家の前で待ち伏せされて、寄ってたかって人殺し呼ばわり。精神的苦痛で、病気になったらどうすんの? とカメラの前で訴える。
その通りなんだが、「パワハラ疑惑」がある人の言葉だと、どうしても響かない。だって、見ている人はもう一平を加害者だと決めつけているから。だけど、一平のこれまでを観ている「ドラマ視聴者」側だと、何か理由があるのでは? と思ってしまう。
これがすごく難しいところだ。こういうケースでの加害者を攻撃するのは容易だ。その一方で加害者をかばう人がいるのも事実。だからと言って、被害者の気持ちを無視した擁護はまた被害者を傷つけることになる。これは他人事ではなく、ネットで簡単に自分の意見を表明できる時代だからこそ、ひとりひとりがその「言葉」に気をつけなければならない。
加害者に近しい人ならば、「そんなことをしない人だと信じたい」と発することも気をつけなければならない。でも加害者を突き放すことも違って…今の時代だからこそ、もう一度ひとりひとりが考え直さなければならないところなのかもしれない。