蔦重(横浜流星)は人をやる気にさせる天才
当時、江戸は空前の青本ブーム。その火付け役となったのが、鱗形屋(片岡愛之助)が出版した恋川春町(岡山天音)の「金々先生栄花夢」だ。
元はといえば、つまらないと言われていた青本を面白いものにしようという蔦重の言葉がきっかけだが、その金々先生で地本問屋として大復活を遂げた鱗形屋は以降、恋川春町と朋誠堂喜三二という青本の二大スター作家を囲い込み、次々と面白い青本を出版していた。
しかし、恋川も朋誠堂も大人気で競争力が激しい上に、どちらも戯号(ペンネーム)を使っていて、どこの誰だか分からないために、蔦重は端から2人を起用するのは諦めていたのだ。
ところが、朋誠堂の方は意外に身近なところにいたことが分かる。その正体は秋田佐竹家の留守居役で、大の吉原通である平沢常富(尾美としのり)だった。
当初は平沢から執筆の依頼を断られてしまう蔦重だったが、そこで鳴るのが編集者としての腕。すでに何本もの青本を書いてきて、飽き飽きしている平沢に「若木屋と大文字屋の喧嘩を源平合戦に見立てるとか…」と一言興味を持ってもらえるようなトピックを投げる。
そこへ乗っかってきた平沢の心を逃さないようにがっちりと掴む蔦重。さらには「書きあがった暁には、吉原あげておもてなしする」と念押しし、見事平沢に執筆の依頼を受けてもらうことに成功した。蔦重は人をやる気にさせる天才だ。
だが、どこからか平沢が耕書堂で青本を書こうとしているという噂を聞きつけた鱗形屋がそれを全力で阻止。「青本を出すのはうちだけにしてほしい」と家族総出で土下座し、同情を買うような言葉で平沢の心を揺さぶる。
その結果、板挟みになった平沢はお勤めが忙しくなったという理由をつけ、しばらくの間、吉原から遠ざかるのだった。