『晩餐ブルース』は自分の「かたち」を取り戻していく物語だった…社会で生きるための本当の”強さ”とは? 最終話考察&感想【ネタバレ】
井之脇海&金子大地がW主演のドラマ『晩餐ブルース』(テレ東系)が、完結を迎えた。本作は、仕事に忙殺されるサラリーマンと、夢から挫折し人生休憩中のニートが晩ご飯を一緒に食べる”晩活”グルメドラマ。今回は、最終話のレビューをお届け。(文・苫とり子)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】
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【著者プロフィール:苫とり子】
1995年、岡山県生まれ。東京在住。演劇経験を活かし、エンタメライターとしてReal Sound、WEBザテレビジョン、シネマズプラス等にコラムやインタビュー記事を寄稿している。
『晩餐ブルース』は自分の「かたち」を取り戻していく物語だった
『晩餐ブルース』第1話の冒頭で、優太(井之脇海)はスマホと睨めっこしながら会社に向かっていた。その隣でホームレスの男性がゴミを落とすが、気づく様子もない。ところが、最終話で優太はホームレスの男性が落とした帽子にすぐさま気づいて拾ってあげる。
もともと優太はそういう人だったと分かるのが、耕助(金子大地)や葵(草川拓弥)との会話だ。高校の時、骨折したクラスメイトを誰よりも心配して、常に寄り添っていた優太。
父親と喧嘩した耕助に、泣きながらカレーを作ってくれた優太。誰よりも目配りができ、他人の痛みが分かって、困っている人がいたら放っておけない。それが彼らしさ、彼の「かたち」。
以前、耕助と葵がスーパーで出会った高齢の男性・亀井(渡辺哲)が「私はね、君たちくらいの時、仕事ばかりしていてね。気づいたら、友達と呼べるような人はいなくなっていたんだよ」と溢したことがある。そんな亀井は自分の手を手を合わせたり、組んだりすることで自分の「かたち」を確認していた。
そういう風に私たちの「かたち」は社会に出ると、どうしてか曖昧になる。“矯正”される、と言ってもいいかもしれない。資本主義社会にとって都合の良い「かたち」に作り変えられ、いつしか自分の本来の「かたち」を忘れてしまう。
本作は晩餐活動、略して“晩活”がテーマだ。だけど、本質は食事を介した見栄も嘘もいらない、本当の自分を知ってくれている旧友との時間にあったのではないだろうか。その中で、3人が自分の「かたち」を取り戻していく物語だったように思う。
そして彼らは自分の「かたち」に合った生き方を選択していく。有名レストランの料理人を辞めた耕助は、老夫婦が大事に育ててきた食堂と味を受け継ぐことを決めた。コンビニの店長をしている葵は新しい業務の中に小さな幸せを見出す。一方、優太がこの物語の中で最終的に辿り着いたのは「休職」という選択だ。