いくつになっても自分の「かたち」は取り戻せる
優太に「あまり遅くまで働くなよ」と言いながら新しい仕事を投げたり、「女性主人公ならドロドロ復讐系」と決めつけて上野(穂志もえか)の企画を跳ね除けたりしていた部長は作品にも人にもあまり愛のない人だと思っていた。でも、それは本来の彼ではなかった。
きっと彼にも、部下がもっと働きやすい環境にしてあげたい、本当に作りたいものを作らせてあげたいというような思いがあるのではないだろうか。けれど、部長という立場上、会社の意向も無視できない中で、彼もまた感受性のスイッチをオフにした人間なのかもしれない。木山(石田卓也)のように。
その木山は変わった。もう後輩の手柄を横取りしたりしないし、他人を自分の駒ではなく人として扱い、何かしてもらった時には感謝もするようになった。休職する優太には「休んでる間もさ、飯とか行こうよ普通に」と声をかける。
それが優太の知っていた、木山の本来の「かたち」。面倒見が良くて、不器用だけど優しい人。
上野は本作の中では最も「かたち」がはっきりしている人かもしれない。作りたいものも明確で、上から無茶苦茶なオーダーがきても「自分のやりたいことをどう掛け合わせるかの勝負」と心を立て直して仕事に臨む。
けれど、女性であるという理由で理不尽な扱いを受け、「私が私だからダメなんだよね」と「かたち」を歪められそうになっていたところに歯止めをかけたのが優太だ。
優太が「上野は上野でいい」と言った上野は、芯の強い人。でも、柔軟で人情深く、「忘れちゃってたけど、ホントはもっとかけ合っていいもんだもん。迷惑って。だから、マジで気にすんな」と言ってくれる人。
そんな風に、自分の「かたち」を取り戻せる場所が誰にでもあったらいいなと思う。耕助が料理を作りすぎたのをきっかけに開催された大人数での晩活。
優太と葵はもちろん木山と上野、亀井も参加し、みんなで食卓を囲む。年齢が離れた人たちと楽しそうにしている亀井の姿が、なんだか嬉しかった。いくつになっても自分の「かたち」は取り戻せるのだと思えたから。