堤真一のセリフが心の中でこだまする…。
3月11日の明け方。いつもの面子で焚き火を囲むなか、なぜここに来たのか軽い調子で啓介に尋ねられた三宅は、神戸にいた過去を訥々と語り出す。彼は17年前に神戸の街を離れたと言った。過去形で語られる家族の話に、順子は彼の身に起こったことを察していく。
順子の地に足のつかない不安定さや、三宅の心に滲む後悔はどれも喪失感に由来している。「どこでもいいから自分の足で遠くまで行きたかった」とこぼした順子も、家族を置いて神戸の街を去り、自宅で黙々と絵を描き続ける三宅も、空っぽになった部分を埋めるために、この街でとりとめのない時間を過ごしていた。
お腹が痛くて先に帰った啓介を除いて、順子と三宅は消えることなく燃え続ける焚き火を前に、死について逡巡しながら眠りにつく。「焚き火が消えたら起こしてくれる?」と尋ねる順子に、三宅は「焚き火が消えたら寒なって、嫌でも目が覚める」と答える。それ以外の選択肢など端から存在しないかのように。
三宅の部屋に置かれた「アイロンのある風景」の絵を映し出して、海鳴りが響きわたりながら物語の幕が引かれる。第1話と同じように、物語の結末は視聴者に委ねられた。
「予感いうもんはな、一種の身代わりなんや。ある場合にはそれは、現実をはるかに越えて生々しいものや」と呟く三宅の言葉が、地下トンネルの映像に反響して心の内側にまでこだましていた。
(文・ばやし)
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