大河ドラマ『べらぼう』第16話考察。”源内”が死ぬ直前の白湯の意図は? 安田顕&渡辺謙のやり取りが泣けるワケ 【ネタバレ】
横浜流星主演の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(NHK総合)が現在放送中。貸本屋からはじまり「江戸のメディア王」にまで成り上がった“蔦重”こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯を描く。今回は、第16話の物語を振り返るレビューをお届けする。(文・苫とり子)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】
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【著者プロフィール:苫とり子】
1995年、岡山県生まれ。東京在住。演劇経験を活かし、エンタメライターとしてReal Sound、WEBザテレビジョン、シネマズプラス等にコラムやインタビュー記事を寄稿している。
悲しくも“らしい”、源内(安田顕)の最期
「どうせ分かんねえなら楽しいこと考える。それが、俺の流儀なんで」
『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第16回では、多くの視聴者から愛された平賀源内(安田顕)が人生の幕を閉じる。その最期は悲しくも、どこか“源内らしさ”を感じさせるものだった。
享保13年(1728年)に高松藩の下級武士の子として生まれた源内。父の亡き後、その跡を継ぐが、幼い頃から好奇心旺盛で才気を発揮していた源内はひと所に収まる器ではなかった。家督を妹婿に譲渡し、藩にも辞職願を出した後は江戸に渡って、本草学者、発明家、作家、画家など、様々な分野で活躍することに。
よく「天才は孤独」と言われるが、源内の場合は交友関係が広く、常に人に囲まれていたという。それは彼自身が人を愛していたからではないだろうか。蔦重(横浜流星)の求めに応じて書いた『吉原細見』の序文がその証左だ。「引け四つ木戸の閉まる頃、これがみな誰かのいい人ってな、摩訶不思議」という一文に人間愛が溢れている。
その源内は男色家で、歌舞伎役者の二代目・瀬川菊之丞(花柳寿楽)とは恋仲だったと言われている。菊之丞亡き後も忘れることができず、男装姿の瀬川(小芝風花)にその面影を重ねた源内。一方で、蔦重や須原屋(里見浩太朗)と芝居街を訪れた際には道ゆく役者達に色めき立ち、一人ナンパに繰り出したことも。安田顕が演じた源内は鬼才然としながらも人間味に溢れ、なおかつチャーミングで愛さずにはいられないキャラクターだった。
しかし晩年、源内は度重なる事業の失敗で生活苦に陥り、荒れていたとされるそんな矢先、大名屋敷の設計図を盗まれたと勘違いしたことから、酔った勢いで大工を殺害。獄中で破傷風を患い、亡くなったというのが通説だ。そこに、本作は徳川家基(奥智哉)と松平武元(石坂浩二)を死に至らしめた手袋を巡る陰謀ミステリーを絡めたストーリーとなっていた。