諦めない朱羅と対照的な薬師寺(佐野晶哉)

『Dr.アシュラ』第2話©フジテレビ
『Dr.アシュラ』第2話©フジテレビ

 正直、医者の口から「諦める」という言葉は一番聞きたくない。ただ、保も何もすることなく断念したのではなく、これまでの知識や経験を総動員させた結果、この結論に至ったのだろう。

 朱羅は見込みがなくても手段を選ばず助けてくれそうだが、今回のケースに関しては助けられるかもしれない“根拠”があった。冷水下では、1時間を超える水没をしても生存できることがあるのだという。朱羅の必死の処置で諦めようとしていた命がもう一度動き出したその瞬間を、保はどんな気持ちで見ていたのだろうか。

 患者の命に責任を持つ覚悟が足りなかったのもあるが、もし“知る”、”知らない”の差であれば、保にも命を諦めない医師への道が見えてくる。だが、ICUの患者が自己抜去で呼吸困難に陥った際、朱羅の手が借りられない中、保は学生時代の経験を頼りに気管挿管の処置を決意するもうまくはいかない。

 保がやらなければ患者が死んでしまう、しかし、思うようにいかない。ましてや、助かってくれと願えば助かるわけでもない。画面越しにも伝わる保のもどかしさからは、決断とは修羅場に踏み込む第一歩なのだと深く痛感する。

1 2 3
error: Content is protected !!