本当に目を向けるべき問題とは?
このエピソードを描く目的は、一連の騒動をなぞることではないはずだ。本当に目を向けるべき問題は何か。そして、あのとき有耶無耶になったことは何か。それらをもう一度、「報道」の視点から検証しなおすことに意義があるのではないだろうか。
そもそも万能細胞が存在するかどうかと、研究の不正があったかどうかは切り離して考えるべき問題だ。マスメディアも「若い女性研究者の光と闇」というセンセーショナルな話題性に飛びかかり、本当に追求しなければならない組織的な研究不正を蔑ろにしていた。
日本人による論文データの捏造や改竄は、今もなお後を絶たない。特定個人に責任を押しつけることは、結果として根本的な原因解決には繋がらなかった。栗林准教授のように、責任を感じて自死を選んでしまう人々も現実には存在する。
進藤の言動は物議を醸していたが、彼は少なくとも「iL細胞」の存在を明確に否定することなく、あくまで研究不正があったかどうかに重きを置いて報道していた。筆頭著者の篠宮に責任を背負わせるのではなく、同じ研究室の小野寺教授(花總まり)の指示があったかどうかを調査する。真実と憶測を切り離して報道する姿勢こそ、今の時代に必要な視座ではないだろうか。