「正論」の罪、消された想い
今回は、華の感情的な行動があまりにも目立つ回だった。ただ、そんな彼女の行動原理は、幼い頃に亡くなった華の姉・沙羅に起こった悲劇が起因となっている。
華の母親は臓器提供が必要な沙羅を、移植のため海外へと連れていく。しかし、直前で違法な臓器売買がスクープによって暴露されたことで、手術は行われることなく、華の姉は冷たい手術台の上で亡くなってしまう。その報道に関わっていたのが、公共放送でキャスターを務めていた進藤だった。
進藤の話す言葉は、すべて論理的に「正しい」。臓器売買は犯罪であり、海外における臓器取引はイスタンブール宣言によって禁止されている。華の個人的な感情よりも、法律が遵守されるべきという主張は、もっともすぎるほどもっともだ。
そもそも番組の報道は、視聴者に対して「感情の一体化」を促す危険性がある。それだけの力がテレビにはあるのだ。報道の多大な影響力は、ときに少数派や反対派の意見を削ぎ落とし、多数派の主張へと扇動していくことになる。
進藤が「相変わらず日本人の反応は、幼稚園児のサッカーのようですね。ボールが飛んでいった方向に全員が群がる」と皮肉ったように、センセーショナルな報道であればあるほど、視聴者の反応は苛烈になっていくだろう。
そんな番組の影響力を踏まえて、「ニュースゲート」がどのような指針を立てて「報道」と向き合うのか。その着地点にこそ、このドラマの伝えたいメッセージが凝縮されるはずだ。