センスが問われる“狂歌”
こうして市中の本屋との取引が無事解禁となった蔦重はその影の功労者である南畝と狂歌ブームを巻き起こしていくこととなる。狂歌とは、五・七・五・七・七の形式に乗せて洒落や風刺を効かせた歌を詠む和歌の“パロディ”。
難しい決まりがないので和歌よりも手軽さはあれど、センスは問われる。南畝に連れられて『狂歌会』に参加した蔦重は「あな鰻 あぁうまそうな 蒲焼の 山芋とろとろ こりゃうまそう」という歌を詠むが、反応はイマイチ。狂歌の会のパトロンである旗本の土山宗次郎(栁俊太郎)から「歌にも何もなっておらぬではないか」と突っ込まれていた。
代わりに、南畝が詠んだのが以下の歌。
「あなうなぎ いづくの山の いもとせを さかれて後に 身を焦がすとは(ああ辛いなあ、どこの山の芋かは知らないが、うなぎのように妹背の中を引き裂かれてもまだ恋に身を焦がすとは)」
これは引き裂かれた恋に身を焦がす心情を、鰻が蒲焼きになる過程に託して詠んだ歌。「穴(鰻の縁語)」は「あな(ああ ※感嘆詩)」、「うなぎ」は「憂き(つらい)」、「いづくの山のいもとせ」でことわざの『山の芋変じて鰻となる(あるはずのないことが時には起こる)』を忍ばせながら「妹と背 (恋人同士)」と掛けた秀逸さに驚かされる。
まさに天才だが、庶民的で親しみやすいところもあるのが南畝の魅力。武士が困窮を極めていたこの時代、南畝も大作家とは思えない生活を送っていたが、「了見しとつで何でもめでたくなるものよ」と、どんな状況も楽しんでいるように見える。