まさかの結末に呆然…松本若菜“朱羅”の言葉が胸に響くワケ。『Dr.アシュラ』第8話考察&感想レビュー【ネタバレ】
松本若菜主演のドラマ『Dr.アシュラ』(フジテレビ系)が放送中だ。本作は、こしのりょうの同名漫画を原作とした救命医療ドラマ。“アシュラ”と呼ばれる凄腕のスーパー救命医の活躍を描く。今回は、第8話のレビューをお届けする。(文・西本沙織)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】
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明かされた朱羅(松本若菜)の凄惨な過去
『Dr.アシュラ』第8話では、ほのめかされていた朱羅(松本若菜)の凄惨な過去が、ついに明らかになった。
朱羅が幼い頃に遭遇した湾岸駅前通り魔事件。17歳の少年が歩行者を襲い、3人が死亡、10人以上が重軽傷を負った。当時の少年法と両親の虐待などによる情状酌量の結果無期懲役となったが、半年前に仮釈放申請が認められ、現在犯人は出所している。亡くなった3人のなかには、朱羅の両親も含まれていた。
冒頭では、車にはねられた身元不明の患者が運ばれてくる。警察の調べにより判明した患者の名前は、神原隆司(忍成修吾)。彼こそが通り魔事件の犯人で、朱羅にトラウマを与えた人物だった。
事件から28年の時を超えて、再び顔を合わすことになった両者。朱羅の信念である「どんな患者であろうと、絶対に助ける」が、憎むべき相手でも貫き通せるのかが試されているともみてとれるだろう。
朱羅のなかに息づく理事長(片平なぎさ)の信念
神原が現れてからの朱羅は、今までにみたことない表情を見せた。負傷した小児患者が「助けて、お父さん、お母さん」と弱々しく訴える姿が、かつて事件で重症を負った自分の姿と重なり、堪らなくなって治療の途中で初療室から出ていってしまう。
さらに、神原をまともに見れば、過去を思い出して吐き気をもよおすことも…。救急科のメンバーが「私たちに任せて」と、朱羅の気持ちを常に汲んでくれるのが唯一の救いだ。
辛いのならば、信頼できるナオミ(小雪)や大黒(田辺誠一)に任せ、神原と無理に顔も合わすことはないと思う。けれど、朱羅がこんなにも葛藤しているのは、責任感の強さと、彼女なりの曲げたくない理想があったからなのだろう。
通り魔事件で瀕死の朱羅を救ってくれたのは、かつてドクターだった理事長の阿含百合(片平なぎさ)だ。「もう無理かもしれない」と他の医師たちが治療を辞めそうになるなか、彼女だけが「患者が助けを求めてるのに、医者が諦めてどうすんの!」と朱羅の命を諦めなかった。
このセリフは、第6話で朱羅が保(佐野晶哉)に活を入れるために発していたものと同じ。百合の信念が、朱羅のなかにしっかりと刻み込まれていて、かつ受け継がれていることがうかがえる。
百合(片平なぎさ)の思いを受け継ぐ朱羅
朱羅がこれまでやってきた、患者のために難易度の高い手術を選択すること、たとえ人手が足らなくても患者を受け入れることは、すべて百合が行なってきたことだ。朱羅が患者に尽くすのは、かつて自分がそうしてもらったからであり、それを行なった理事長のような医者を理想として目指していたからだろう。
朱羅が神原のオペ担当医から外され、保から「僕たちが絶対にやり遂げます」と頼もしい言葉をかけられたとき。彼女の脳裏に蘇っていたのは、研修医時代の記憶だった。百合のような医者を目指し、運や偶然に左右されない、患者がどこに運ばれてもどの医者が診ても生きられる救命医療を志す多聞(渡部篤郎)たちのもとで働く朱羅。
だが、通り魔事件で運ばれてきた患者を診た際、被害者の命を諦め、助かる見込みのある自殺しようとした加害者を優先してしまう。どちらの命も助けたかったはずだが、現実はうまく行かなかったのだ。
被害者家族に責められる朱羅。精神的にきていた朱羅をみて、多聞は「たとえどんな患者だとしても、目の前の命を救うために全力を尽くす。それが俺たち救命医の仕事だ」と彼女を肯定した。この言葉は、神原をめぐる葛藤のなかで揺らいでいた朱羅の信念を、もう一度強固にしてくれるものでもあった。