今回の航海も、幸せな時間になる…池田エライザが流す「4つの涙」とは? NHKドラマ版『舟を編む』考察&感想【ネタバレ】
三浦しをんのベストセラー小説を原作としたNHKドラマ『舟を編む〜私、辞書つくります〜』が放送中。一冊の辞書を作るために、情熱を燃やす人たちの物語だ。原作の主人公・馬締ではなく、新入り社員・岸辺みどりの視点で描く本作のレビューをお届けする。(文・田中稲)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】
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息がしづらいこの現代に、言葉という舟で旅に出よう
「うまくなくていいです。それでも言葉にしてください。今、あなたの中に灯っているのは、あなたが言葉にしてくれないと消えてしまう光なんです」
思いは言葉にしないと伝わらない。出てくる台詞がひとつひとつ、本当にあたたかい。なんと気持ちのいいドラマなのか…!
2024年2月18日から4月21日までNHK BSプレミアム4Kの「プレミアムドラマ」で放送された『舟を編む 〜私、辞書つくります〜』。BS放送時から「言葉が好きになった」「登場人物全員が愛おしい」など、多くの方が絶賛しているのを聞いていた。
ギャラクシー賞、東京ドラマアウォード、ATP賞など、賞も多く獲り、すでにNHKオンデマンドでも全話配信している。それでも観ることができなかったのは、映画版で描かれた、あの細かくて細かくて気が遠くなるような辞書編纂のストーリーと、ドラマのアイコンに映っている、オシャレなボウタイブラウスの池田エライザがどうしてもマッチしなかったからだ。
しかしついに地上波で放送。腹をくくって見るしかない――。覚悟を決め、チャンネルを合わせたら、冒頭、広がる静かな海と、岸辺みどりを演じる池田エライザの「嘆息」「涕泣」「嗚咽」「慟哭」、四つの「涙」にガツンとやられてしまった。
このシーン、一発撮りだったと知って驚いた。涙って、きれいに流すだけでも大変だろうに。恐るべしエライザ!
そして思った。ああ、今回の言葉の航海も、とても幸せな時間になる、と。
映画版の岸辺みどり(黒木華)をプレイバック
『舟を編む』は、中型国語辞典「大渡海」の刊行に向けて、玄武書房の辞書編集部の10年以上に渡る奮闘が描かれる。映画では、岸辺みなみを黒木華が演じており、ツンケンした黒木華がたまらなくいい。「仏頂面大賞」をあげたくなる!
頭がよく、きちんとしていて、愛想笑いはしない。歓迎会でビールをすすめられても「私、シャンパンしか飲めなくて」とシレッと言う。意の沿わぬ異動に不満は持つが、やることはやる。
「なんじゃこの部署は」という顔のまま、ファイリングを丁寧にする姿が、なんともユニークだった。映画ではいつのまにか彼女はノーメイク・ノーアクセサリーで、笑顔を炸裂させ、バイト連中を仕切るまでになっていた。
池田エライザの方はというと、元読モという設定だけあって、オシャレ! チョコミントカラーの電卓や、ピンクのボールがついた水筒など、持ち物もすべてかわいく、カラフルで視覚的に楽しい岸辺みどりが、辞書編集部に、新しい彩りをつけていくイメージが湧く。
黒木華のようなバリキャリ感は少なめだが、自信とコンプレックス、両極端に揺れる感じがいい。2人のみどりは、全然違うのに似ている。嬉しい予想外だった。
映画は2008年、ドラマは2017年の設定。その時代性を反映した二つの「岸辺みどり」は、パラレルワールドを観ているみたいでとても面白い。整理整頓が上手く、なんだかんだと文句をいいながら、環境に馴染もうとする素直さと柔軟性があるのは同じだ。
野田洋次郎が持つ「墨色のオーラ」
さて、もう一人、『舟を編む』と言えば、映画版で主人公だった馬締光也。
言語感覚は鋭敏だが、コミュニケーションが下手なこの役を、松田龍平が見事な挙動不審ぶりで演じていた。それを今回は、野田洋次郎が、ドラマらしい明るさとわかりやすさを添え、見事バトンを受けている。
若き人材をやさしい目で見守り、育てる立場の馬締を、ユーモラスに、飄々と、演じている。照れくさくなるような褒め言葉も、いい意味で下心を感じないテンションで言ってくれる野田洋次郎の妖精感におののいてしまう。
これはなかなかできない! 映画『キネマの神様』(2021)のテラシン役でも思ったが、独特の墨色のオーラを感じる。彼の存在自体が貴重だ。彼がいるだけで文学の香りが10倍増す!
お仕事ドラマとして勇気をもらえる名ゼリフも数々
馬締という天才肌の上司と、無自覚ながら、言葉のセンスを持っているみどりの成長物語というだけではなく、周りの「普通」とされる人たちの有能さ、輝きをしっかり描いてあるのも嬉しいところだ。
チャラいけれど、人を見る目がニュートラルで、包容力と理解がある西岡正志(向井理)、常識的な感覚を持ち、冷静にツッコみを入れる契約社員、佐々木薫(渡辺真起子)は、会社に1人いてほしい。
「バーカ」が口ぐせのバイト、天童充(前田旺次郎)は、なぜ辞書があんなに好きなのに、バカの他の言い回しをなぜ思いつかないのか、もっとボキャブラリーを増やさんかい、とツッコみたくなるが、ここぞというときに知恵を貸してくれる。あのツンデレ感はリアルだ。
私が心に響いたのが、あけぼの製紙の営業担当、宮本慎一郎(矢本悠馬)。紙が大好きというわけではない。けれど、テンション高く紙について語り、大好きなように〝振舞う〟のだ。
「(馬締さんを)真似してみてるんです。あんなに仕事に愛と情熱を持っている人に〝(紙なんて)別に〟っていう温度で接したら失礼かなと。僕も、馬締さんみたいになれたらって。だから形から入ろうと思って」
このセリフを聞いた時、目から鱗が10枚くらい落ちた。「輝いている人のテンションを真似する」。なんとステキな仕事術! 演じる矢本悠馬の人懐っこい笑顔も相まって、ディスプレイから爽やかな風が吹いた気がした。クーッ、営業の鑑!
歩み寄れる人が歩み寄る。リスペクトを素直に出す。適材適所で才能を伸ばす。そうすれば、素晴らしいものが出来上がる――。押しつけがましくなく、静かにそれを見せてくれるので、こちらも気負わず、明日から生活に取り入れようと思える。ありがたい!
誰もがやってしまいがちな言葉の“トゲ”
もう1つこのドラマでありがたいのが、みどりの無意識な言葉のやらかしだ。彼女の失敗は本当に小さいけれど、誰もがやってしまっているような言葉の〝トゲ〟。
彼女を見て思うのだ。「ああ、私もやってる気がする」。この気づきが本当にありがたい。第1話、第2話は「私、朝電話なんてする余裕がないから」「バイトなんて休んじゃいなよ」など、「~なんて」をつけることにより、相手を軽視しているように思わせるシーンが描かれていた。
使い方を間違っていた言葉の意味を紐解くことで、心の行間が整っていく――。
そう、このドラマを見ていると、散らばっていた想いが「あるべき場所」におさまり、整っていく感じがある。これから最終回まで、たくさんの言葉が登場し、心の〝隙間〟に、きれいに埋まっていく嬉しい予感がするのだ。整理整頓が得意なみどりの手により、机の中や本棚がきれいにおさまるシーンと同じように。
SNSという大海で、情報の嵐が頻発し、息がしづらい現代。言葉という舟に乗り、この荒波をどう渡っていけば、楽しい旅になるのだろう。憂い諦める前に、明らめていきたい。
失敗と発見を繰り返す岸辺みどりとともに帆走し、そのヒントを一緒に探していこう!
【著者プロフィール:田中稲】
ライター。アイドル、昭和歌謡、JPOP、ドラマ、世代研究を中心に執筆。著書に『そろそろ日本の全世代についてまとめておこうか。』(青月社)『昭和歌謡出る単 1008語』(誠文堂新光社)がある。CREA WEBにて「田中稲の勝手に再ブーム」を連載中。「文春オンライン」「8760bypostseven」「東洋経済オンライン」ほかネットメディアへの寄稿多数。
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