同じ人とは思えない…矢本悠馬、『ちはやふる』との豹変ぶりに驚愕。両者の意外な共通点も? ドラマ『べらぼう』第28話考察【ネタバレ】
横浜流星主演の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(NHK総合)が現在放送中。貸本屋からはじまり「江戸のメディア王」にまで成り上がった“蔦重”こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯を描く。今回は、第28話の物語を振り返るレビューをお届けする。(文・苫とり子)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】
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ついに破裂した田沼家への憎悪
田沼意次(渡辺謙)の息子・意知(宮沢氷魚)が36歳という若さで命を落とした。<西行は 花の下にて 死なむとか 雲助袖の 下にて死にたし>。表向きは幕臣・土山宗次郎(栁俊太郎)の妾として誰袖(福原遥)を身請けする話がまとまった矢先の出来事だった。
江戸城内で白昼堂々と意知を斬ったのは佐野政言(矢本悠馬)。田沼の祖先が佐野家の末端家臣だったことを盾に意知に昇進を願い出たが叶わず、凶行に及んだとされる。さらに本作は史実とオリジナルのエピソードを織り交ぜながら、意知に対する憎悪の根底にある政言の生きづらさを浮かび上がらせた。
三河以来、徳川家に仕えた由緒ある家柄に10人姉弟のうち唯一の男子として生まれた政言。17歳の時に家督を継ぐも、社交の場で上手く振る舞えない不器用な男は出世もままならなかった。そのことを耄碌した父から責められ、「なにゆえ、こうも違うのかの…」と若くして若年寄に就任した意知との境遇の違いを嘆く政言の絞り出すような声が忘れられない。
そんな政言の心の弱い部分に漬け込む人間がいる。意知が自分を貶めたという話を人づてに聞いた政言の中で一気に憎悪が膨れ上がり、やがては破裂した。
矢本悠馬が体現する“陰”と“陽”
矢本悠馬といえば、ドラマ『ちはやふるーめぐりー』(日本テレビ系)にも出演中。矢本が演じる“肉まんくん”こと西田優征はお調子者で、映画シリーズの主人公・千早(広瀬すず)たちが所属する瑞沢高校競技かるた部のムードメーカー的な存在だ。政言とは正反対であり、矢本は“陰”と“陽”の芝居でそれぞれのキャラクターを印象付けた。
一方で、共通する部分もある。同作の第3話で西田はかつての仲間・奏(上白石萌音)率いる梅沢高校競技かるた部の壁として立ちはだかることで、部員たちを成長させる役割を担った。
狙った札を取りに行く時の気迫が、意知に襲いかかる時の政言にもある。「覚えがあろう…」と史実通りの台詞とともに、一切の迷いなく意知を斬りつけた政言。その鬼気迫る雰囲気に圧倒させられた。
矢本自身、普段は軽やかな印象を受けるが、ここぞという時の凄みを感じさせる俳優だ。もし俳優の月間賞があるならば、矢本に贈りたい。
現実とリンクする脚本に驚き
それにしても、第28回はここ数ヶ月の内に台本が仕上がったのではないかと思うような内容だった。意知の死をきっかけに、人々の溜まりに溜まった田沼政権への不満が噴出。さらには皮肉にも意知の尽力がようやく身を結んで米の値が下がり始めたことで、政言は神様として崇められるようになる。
民衆が行き場のない不平不満を石という武器に変え、罪のない人間にぶつける。私たちがこの数ヶ月で見た光景そのものだ。蔦重と同じく「ついていけねぇっす」と何度思ったことだろう。展開と台詞があまりにも現実とリンクしていて胸が打ち震えた。いや、もしかしたら人間は歴史に学ばず、ずっと同じことを繰り返しているだけなのかもしれないが。
一方で、本作は決して彼らを“愚民”として描いてはいない。
「私は拝んで米の値が下がるなら、いくらだって佐野って人を拝むよ」
そう言ったのは、浅間山の噴火で住む場所を追われ、新之助(井之脇海)と命からがら江戸に戻ったうつせみ(小野花梨)だ。その日の食べ物にありつくことに必死で、明日の命さえ保証されないような生活。それなのに誰も助けてくれないとなれば、陰謀論やデマにも藁にもすがる思いで食いつくというものだろう。
かつて、蔦重が「皆がツキまくる世ってのはねぇもんすかね」と平賀源内(安田顕)の前でこぼしたのを思い出す。彼らからすれば、そんなのは死ぬ思いをしたことがない人間の綺麗事だと思っても仕方がない。何とも遣る瀬無いものだ。
意次(渡辺謙)の仇の討ちかた
だが、問題はいつの時も己の利益のために民衆の憎悪を扇動する人間がいるということ。意知の葬列で人々が棺に石を投げ込んだ時も、最初に的を用意した男がいた。同じ男が切腹した政言の墓がある寺に「佐野世直し大明神墓所」という幟を立てるのを目撃した蔦重。その男こそ、源内を殺人犯に仕立て上げた「丈右衛門だった男」(矢野聖人)だ。政言を言葉巧みに追い詰めたのも彼である。
蔦重から報告を受けたとき、意次はすぐにピンときたはず。おそらく裏で男を操っているのは一橋治済(生田斗真)だということに。腹心の友だけではなく、愛する息子の命をも奪った治済。江戸城内でその姿を見かけた時、意次は本来ならすぐにでも斬りかかりたかったに違いない。
しかし、意次はそうしなかった。奴を倒したところで2人が帰ってくるわけでもなければ、世間の評価が覆るわけでもない。代わりに意次は、別の方法で仇を討つことを決める。
その方法とは、意知が生きていれば、成し遂げたかったことを代わりに実現することで、その名を後世に残し、永遠の命を捧げること。それは、源内が亡くなった時、須原屋(里見浩太朗)が蔦重に語った「伝えていかなきゃな。どこにも収まらねえ男がいたってことをよ」という言葉にも重なる。
心にもないお悔やみの言葉を口にする治済に「あやつはここにおりまする」と自分の胸を叩いてみせ、「もう二度と、毒にも刃にも倒せぬ者となったのでございます。志という名の元に」とにこやかに告げた意次。しかし次の瞬間、治済の後ろに回り込み、「それがしには、やらなければならないことが山のようにございますゆえ」と凄む。
その時の意次は直前までの憔悴しきった様子とは打って変わり、龍の如き迫力を纏っていた。
「お前がどんな風に仇を討つのか。良ければ、そのうち聞かせてくれ」
意次から届いた手紙でそう問われた蔦重。意知が生きていれば、成し遂げたかったことはもう一つある。それは、誰袖を笑顔にすること。憎悪は憎悪を呼ぶ。佐野への復讐に取り憑かれた誰袖を、蔦重は自分なりの方法で救い出すことを決意する。それは「憎悪の連鎖をいかに断ち切るか」という、今を生きる私たちにも課せられた命題に光を当てるのではないだろうか。
【著者プロフィール:苫とり子】
1995年、岡山県生まれ。東京在住。演劇経験を活かし、エンタメライターとしてReal Sound、WEBザテレビジョン、シネマズプラス等にコラムやインタビュー記事を寄稿している。
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