“普通の幸せ”とは何なのか
亮子が亜佐美にどうして子どもが欲しいのか、と問うと亜佐美は「子どもが欲しいというのは普通のことでしょう?」と言う。
亜佐美としては、結婚して子どもを産むことは普通だし、五条家には跡取りが必要。そして夫の機嫌をとることは何よりも重要なことだった。そうでないと、家にいることができないから。それは生活していくために必要なことだから。
それが幸せなのかどうかはどうでもよくて、生きていくことができればいい、というように見えてしまう。
亜佐美のもともとの考え方もあるかもしれないけれど、夫に抑圧されていたとしても、今の裕福な生活を守ることができるなら耐えられる範囲内だったのだろう。
もちろん、ドラマだから少し大袈裟に描いている部分はあるだろうけれど、多かれ少なかれ共感する人もいるのではないだろうか。
しかし、後半になって新たな事実が発覚する。亜佐美は、実は斉藤からの提供で妊娠したわけではなかった。亡くなった元恋人の冷凍保存していた精子で妊娠していた。本来であれば、亡くなった時点で破棄されなければならないが、友人の医師・竹下(朝井大智)が協力してのことだった。
「神波先生も女だったら分かるでしょう?」と亮子に話す亜佐美の口ぶりから、亜佐美の性格も垣間見える気がする。自分は何も悪くない、悲劇のヒロインと思っている…と解釈するのはちょっと意地が悪いだろうか。
(とは言え、見ず知らずの人の子どもを妊娠するという怖さも気持ちは分かる。亜佐美の夫がどう思うかは別として)
どちらにしても、自分の幸せがなんなのか決めるのは自分次第。環境はもちろん、住んでいる地域によっても幸せの形は変わる。そう考えると、幸せとはなんと曖昧なものなのだろう。