自分が放った言葉の心なさに気づくこと
宮城県で生まれた長嶺は、父親亡き後の家計を支えるため、高校に進学することなく集団就職で東京へやって来た。同じような境遇の人もいるが、周囲には勉強が嫌いだと言いながらも高校への進学が叶う人もいた。
その悔しさをバネにがむしゃらに働き、自分の工場を持つまでになった。そんな長嶺にとって、学べる環境があるのに学ぼうとしないように見える今の若者たちは「甘えている」「もったいない」と感じるのだ。
アンジェラ(ガウ)の「苦しさは比べられるものじゃない」という言葉の通り、若い頃の長嶺と比べたら恵まれているように見える岳人をはじめとする若者たちも、それぞれなりに問題を抱えている。
例えば岳人はディスレクシアを抱えているが、そこのことを長嶺は知らない。だが、たまたま街中で見かけた岳人が読み書き障害に関するトレーニングに通っていること、そしてその障害がタブレットを使うことで緩和されることを知り、自分が放った言葉の心なさに気付かされるのだった。