実資(ロバート秋山)の意見がもっともすぎる
さらには「民が幸せに暮らせる世を作る」と理想を語る道長に、実資は「そもそも左大臣殿に民の顔など見えておられるのか」と疑問を投げかける。これには、「確かに」と思わされた人が多いのではないか。
道隆(井浦新)が左大臣だった頃、都に疫病が蔓延し、道長は自ら悲田院に赴いた。しかし、今や都の様子を見にいくそぶりもない。口では民のための政をしたいと言っているが、道長はその民が何を望んでいるかを知ろうとはしていないのだ。
それでは、本当に民を幸せにすることができるとは思えない。そもそも幸せの基準はそれぞれであり、「幸せなどと曖昧なものを追い求めることが我々の仕事ではございませぬ。朝廷の仕事は、何か起きた時、まっとうな判断ができるように構えておくことでございます」という実資の言葉も正論に思える。
それでもなお、「志を持つことで、私は私を支えてきたのだ」と反論する道長に、「志を追いかける者が力を持つと、志そのものが変わっていく。それが世の習いにございます」と返す実資。
道長はその意味を理解できない様子だったが、現代にも高い志を掲げていたのに権力を得た途端、怠慢になる政治家は大勢いるため、よくわかる言葉だった。