百合子の苦しみに寄り添った和尚(さだまさし)のセリフが沁みる…。
百合子の苦しみに寄り添った和尚役のさだまさしは長崎出身で、吉田政美とフォークデュオ「グレープ」として活動中に、今回描かれた精霊流しを題材とした、その名も「精霊流し」という楽曲を作っている。
同曲は自身の従兄が水難事故で亡くなってしまったときの精霊流しの思い出がモチーフになっており、故人を偲ぶ気持ちが伝わってくる歌詞を今一度聴いてみてほしいのだが、さだは「防人の詩」や「キーウから遠く離れて」など戦争を題材とした楽曲を数多く作ってきたことも忘れてはならない。
日露戦争最大の激戦となった二〇三高地の戦いを描いた映画『二百三高地』(1980)の主題歌となった「防人の詩」は、「戦争を賛美している」と批判されたこともあるが、歌詞を深く読み込めば、命の尊さを歌ったものだとわかる。
また、さだは戦争賛美になりかねない映画の主題歌を担当することに当初躊躇ったが、戦争に翻弄された市井の人々の物語と知ってオファーを受けたというのも、よく知られているエピソードだ。
そんなさだから放たれるからこそ、「神も仏も、何もしないとよ。何かするとは人間の業。人を生かすも殺すも人間のすることよ。ごめんね。私たちが、私たち大人たちが、苦しみばつくりだしてしもうたとよ。子供たちに大きな禍根ば、残してしもうた。これはね、ぜーんぶ、私たちの罪よ」という台詞がより胸に沁みる。
すべての行動には必ず理由がある。鉄平を大学に行かせた理由について、和尚に「偉くなれば、騙されないで済む。偉い奴はみんな生きている」と明かした一平(國村隼)。
そこにも戦争を推し進める国に騙され、長男を戦地に送り出して死なせてしまったことへの反省があった。