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医師免許保持者の手塚治虫だからこそ描けた日本初の医療マンガ

写真:映画チャンネル編集部
写真:田中稲

 原作マンガが始まったのは、1973年。当時は「医療マンガ」というジャンルはなく、ジャンル分けとしては「恐怖マンガ」に入っていたそうだ(のちに「ヒューマンマンガ」に変更)。言い換えれば、まだ『ブラック・ジャック』がちゃんとマンガ(フィクション)に思えた頃だった、と言えるかもしれない。

 その後大ヒットとなり、連載は5年(不定期連載を入れると10年)にも及ぶ。「『ブラック・ジャック』は図書室に全巻揃ってました」という方も多い。単行本を買わず学校で読みふけることができた方、羨ましい!

 マンガながら、命の重さを感じさせる手術シーンの説得力はすごい。手塚治虫さんが医師免許を持っていたのは有名な話だ。1945年に大阪帝国大学(現・大阪大学)附属医学専門部に入学し、1951年卒業、1952年に医師免許を取得している。その間すでにマンガ家として活躍されていて、『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』の連載が始まっていたというから、寝る時間はあったのだろうかと、今さらながら心配してしまう。

 ところが、『ブラック・ジャック』は手塚治虫にとって、起死回生の一作だった。1950年代は、出る作品すべてが大ヒット、質量ともに漫画家の最先端を走っていた手塚さんだが、時代が劇画ブームに移り、スランプに苦しむことになる。

 ヒットは途切れ、アニメも失敗。1973年11月10日、虫プロは倒産した。その9日後、11月19日から始まったのが、『ブラック・ジャック』だったのだ。このヒットで彼は火の鳥の如く甦るのである。

 ちなみに、タイトルの『ブラック・ジャック』はカードゲームの「ブラックジャック」が由来と思っていたが、違った。髑髏マークがドンとついた海賊の旗も「ブラックジャック」と呼ぶらしく、手塚治虫はそちらの意味で名付けたという。お金をふんだくり、荒っぽくメスで身体を切り刻む。そんな彼を海賊に見立てたそうだ。

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