「パワハラ上司も鬼じゃない」という主張の意味
今もなお、パワハラに悩まされる人々は大勢いるだろう。一方で、パワハラで悩ませる側の人も同じ数だけいるということだ。今回は、女性社員の“妊活”をめぐり、「そんなつもりはなかった」と否定する渚が訴えられるという“パワハラする側”の出来事を描いた。
しかし妊活を理由に“プレ・マタニティハラスメント”を受けたという杉山は、少々常識はずれな社員として表現されていた。自分の主張は押し通すものの仕事に協力する姿勢は見えず、挙句にその問題行動から配置換えされてしまった人物だ。
そんな問題社員に手を焼きながらも「女性の働き方を応援したい」という気持ちから出た発言が、パワハラに該当してしまった渚。渚は正義感が強く、人一倍頑張り屋さんであるにも関わらず、社会的な分類で“パワハラ上司認定”されてしまう。
ゆずるが主張したように「本当のことは誰にもわからない」はずなのに、一方の主張で分類されてしまう世の中。市郎の「細かく分類して解決した気になってるだけなんじゃないの」という気持ちもわからなくない。
筆者は平成生まれの20代だが、昭和生まれの30代以上の上の立場の人たちは、特にやりづらい世の中になったのだということを感じさせられた。
時代や性別などによって様々な価値観が交錯する世の中で、相手を気遣う発言が仇になったり、軽い冗談がセクハラになったりと、昭和の人々や、部下を持つ人は大変だと感じる。
今回の話で言えば、杉山の行動は周囲に迷惑をかける行いであり、極端な設定づけがされていた。その上、渚は一度の失言でアウトだった。だがこれを現実に置き換えた時、パワハラは日常的に人の精神を痛めつける。「そんなつもりじゃなかった」で済む話ではない。
しかし上司側からすれば、円滑に進めなければいけない仕事にミスや穴があれば、被害を被るのは自分や会社だ。場合によっては厳しく注意してしまうことだってあるだろう。
両者の意見が衝突した結果、立場の弱いものが訴えたら勝てないのが今の世の中だ。
毎回、答えのでない問いに自らぶつかりにいく”ふてほど”。しかし、ドラマになったことで出来事を俯瞰してみることができ、自分ではない方の主張や考え方を知るきっかけになったと感じる。
“生きやすい世の中”は、弱者、もしくは強者だけが得をすることではない。令和も昭和もいいとこ取りというわけにはいかないだろうか…。