道隆の二面性
この世のすべてのものは移りゆき、やがては滅びる。長徳元年(995年)4月10日。道隆は妻・貴子(板谷由夏)に見守られながら、43年の生涯に幕を閉じた。朝廷の実質的な最高権力となり、栄華を極めた道隆。だが、その最期は哀れなものだった。
道隆の死因は飲水病、今でいう糖尿病だったとされる。脱水症状により喉が渇き、網膜症で目も霞む。病の苦しみと一条天皇に見放されたショックで心までも蝕まれたのだろう。
正気を失い、道兼(玉置玲央)にまで「貴子も伊周も隆家も支えてやってくれ酷なことをしないでくれ。どうか、どうか、どうか、どうか……伊周を、わが家を頼む」とすがる。自分は散々、姉弟たちや民を無下に扱ってきたというのに、あまりにも虫が良すぎるのではないか。
一方で、道隆をどこか憎めないのは妻や子供達のことを心から愛しているからだろう。かつて、 兼家(段田安則)は道長に「政とは家の存続である」と言ったが、そんな父を尊敬していた道隆も同じ。家を存続させるためならば、いくら人に憎まれようとも独裁を貫く姿勢はある意味、清々しい。
だが、道隆は行き過ぎた。兼家がいた頃は欲を隠し、慎重に物事を進めていた道隆が、関白の座について以降、どんどん権力に溺れていく姿が印象的だった。結果、道隆はごく近い身内以外の味方を失ってしまったのである。
死に際も、兼家が妾である寧子(財前直見)に「蜻蛉日記」の一首を詠んで聞かせたように、道隆はかつて貴子から送られた「忘れじの 行く末まではかたければ 今日をかぎりの 命ともがな」という歌を詠む。
そんな道隆に、最後の最後まで「殿はまだ大丈夫でございますよ」と語りかけた貴子。実際のところ、彼女が道隆のやり方をどう思っていたのかはわからない。けれど、どんな時も自分だけは道隆の味方であろうと心に決めていたのではないか。
道隆は権力の鬼のようだったが、貴子の隣ではいつも穏やかな表情を浮かべていた。家の外と中で見せる顔は違う。道隆は、他人から見れば傲慢で非情な権力者だったが、家族から見れば愛情深く偉大な父だった。
その常に行き来する二面性を17話かけて表現し切った井浦新。道隆が衰弱していく中で見せる抵抗をまざまざと映し出す鬼気迫る演技も含め、見事だった。