玉置玲央の匂い立つほどの色気
そんなまひろが奏でる音色にうっとりとした表情で聴き入る道兼。「見事ではないか。体中に響き渡った」という言葉は本心から出てきたものだろう。その後、道兼は為時にあざだらけの腕を見せ、不遇の身の上を語る。あざはきっと、兼家から虐待を受けてきたという体で自らつけたもの。
それもおそらく、兼家のアイデアで。つまりは為時の同情を得るための嘘。けれど、兄弟の中で不遇な扱いを受けてきたことや右大臣の息子というだけで周りから遠ざけられてきたという話は真実で、それを語る道兼の辛そうな表情も演技ではないように見える。
道兼の口ぶりにはその話がたとえ“嘘”でも、いつも“本当”が混じるのだ。兄・道隆(井浦新)の「わしは分かっておるゆえ、お前を置いては行かぬ」という言葉にコロッと騙されてしまうほどに、彼は愛情に飢えている。兼家に認められたい、誰かに自分をわかってほしい。その切実な願いが憂いとなり儚さとなり、道兼自身を魅力的な人間たらしめる。
演じているのが、玉置玲央というのもあるだろう。同じく大石静が手がけたドラマ『恋する母たち』(TBS系)でゲス不倫夫を演じていた時でさえも、妙に惹きつけられる魅力があった。NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』で演じた、少しチャラついた記者の役もそう。
画面から匂い立つほどの色気が彼にはある。役者が玉置じゃなかったら、道兼は同情もされず、多くの視聴者からとっくに嫌われているはず。だけど、玉置が演じているから、一定数沼にハマる人がいる(筆者も同じく)。
でも、そこが厄介なのだ。おそらく花山天皇は沼にハマるだろう。彼もまた愛情に飢えていて、辛抱強く自分と向き合ってくれた為時に心を開いてしまう純粋さがあるから。道兼とは相性が良すぎて、逆に危険。共依存関係に陥ってしまうであろう二人だ。
きっと道兼も花山天皇に共鳴しつつ、結局は兼家には逆らえなくて、最後の最後で裏切ることになるのだろうな……。今からその時を想像しただけで胸が苦しい。まひろの家にも、花山天皇の心にも、道兼はとことん“招かれざる者”だ。