直秀がもたらしたもの
直秀は最初から最後まで謎な男であった。どこで、どんな両親の元に生まれ、どのような人生を送ってきたのか。何もかも明らかにされていない。
だが、確かなのは貴族を恨んでいたこと。貴族をあざ笑う散楽を披露し、その貴族たちから奪った金品を貧しい庶民たちに分け与える。その根底には、静かだがメラメラと燃えたぎるような貴族社会への怒りがあった。
そんな貴族社会の頂点に近い位置にいる右大臣家の三男坊として生まれた道長。けれど、時姫(三石琴乃)の育て方が良かったのか、彼には兼家(段田安則)のような強欲さはなく、道兼(玉置玲央)のような選民思想も持っていない。むしろ、そういう父や兄たちにうんざりしていたから直秀に共感する部分があったのだろうし、直秀もまた良い意味で貴族っぽさのない道長に一目置いている部分もあったのだと思う。
その直秀があのような最期を迎えてしまったことで、道長は自分の采配次第で簡単に人を殺めてしまえる貴族社会の残酷さをまざまざと知ることとなった。道長はのちに政界のトップに躍り出る。
全く出世欲のない現在の道長とのギャップがありすぎて、不思議に思っていたがようやく分かった。直秀の死が、彼の心に火をつけたのだ。「私が男であったなら、内裏に上がり世を正します」とは、まひろの台詞だが、道長もきっと同じことを思ったに違いない。
一方で、直秀には庶民を足元に敷く貴族社会を憎みながらも、そうした苦しい現実を笑いに昇華させる美意識があった。「おかしきことこそめでたけれ」。それが、まひろが直秀から教わったことだ。まひろは内裏に上がり、直接世を正すことはできない。代わりに直秀の精神論を受け継ぎ、庶民に物語を届けていく。同時に、道長を支えていくのだろう。その娘・彰子に仕える女房として。
直秀によって引き合わされた二人。その死の哀しみを分かち合った彼らはここで初めて、切っても切り離せない“ソウルメイト”となったのだ。どれだけ時が移ろうとも直秀との思い出が、二人を永遠に「まひろ」と「三郎」でいさせてくれる。