「紅葉を否定する言葉」に救われた紅葉
そして、美鳥はついに紅葉(神尾楓珠)に会いに行く。
2人が出会ったのは、美鳥が高校教師をしていた頃。ゆくえに「学校が嫌いな先生がいたらいいのに」と言われたことがきっかけで、美鳥は先生になったらしい。美鳥を巡る4人の発言が、美鳥とそれぞれを結びつけるきっかけを作り出している縁の妙。当時の美鳥はいつも不機嫌で、笑顔がなく、ため息ばかりついていた。だからやっぱり、ここでも生徒たちから嫌われていた。
そんな美鳥と紅葉の距離が縮まるきっかけになったのは、数学の補修でのこと。友だちとカラオケに行きたくなくてわざと最後まで残っている紅葉に、美鳥は不機嫌そうに「佐藤くん、友だちいないでしょ」と言う。
最初こそ反論するけれど、「友だちと友だちしてるだけ」などと美鳥が言葉を重ねるほど、紅葉の表情が明るくなっていくように見えた。紅葉の中にあったもやもやに、最初の気付いた人だったのだろう。それはある意味で、紅葉を肯定することでもある。
でも、美鳥が紅葉の本心をすくい上げることができたのは、彼女も同じだったから。そのとき美鳥は結婚していたが、自宅に帰ることを「行く」と表現していた。今回の家も、美鳥にとって帰りたい場所ではなかった。紅葉は学校での居心地の悪さを“笑う”ことでやり過ごし、美鳥は“怒る”ことで耐え忍んでいたのだろう。根の部分が、共通していた。
見かけ上の友だちは多いが、その実、本当の友だちも居場所もなかった高校生にとって、同じように孤立しながら思っていることをズバズバ言い当ててくる大人の存在はどれほど大きかっただろう。
思春期特有のうざがるような態度をするわけではなく、次第に心を開いていく様がなんとも愛おしい。でも、だからといって必要以上に距離を縮め合うことのない2人。卒業式の日にも、目配せこそすれ言葉は交わさない。繊細な心の機微とほんの少しのもどかしさを、神尾楓珠が雄弁に表現していた。