岸本家は“特別”だったのだろうか?
行きたかったカフェにはわずかながら段差があり、車椅子を持ち上げないと入れない。娘が買ってくれたイヤリングを落としてしまったときも自分で拾うことすらできない。1人ではどこにも行けない。
大好きな娘に「すみません」や「ごめんなさい」を言わせてしまう今の自分に、ひとみは絶望を募らせていく。そしてようやく見つけたカフェで、その思いは爆発した。そんな母を目の前にどうしたらいいか分からず、飛び込んできた単語を紡いでなんとか言葉を絞り出したことも、「もうさ、一緒に死のか」と七実が声をかけたことも、正真正銘トゥルーストーリーなのだ。
「死にたいなら死んでもええ。私も一緒に死ぬ」「…でも、ちょっと時間ちょうだい。ママが“生きた”って思えるようにしたいねん、私」
この言葉の先に、笑顔の岸本家がいることを私たちは知っている。第1話にあった通り、その後ひとみは電動車椅子を使いこなし、車の運転を再開。娘たちが車椅子を押さずとも、1人でどこへでも行けるようになる。
一時はニューヨークで大道芸人になろうかと迷走していた七実は、母との外出で福祉の重要さを痛感し、大学で福祉とビジネスについて学ぶことを決意。かつて自分が行きたかった大学に娘が合格したことを、亡き耕助も小躍りして喜んだ。
このピンチを乗り越えられたのは、岸本家がどんな災難にも負けない“特別”な家族だったからだろうか。岸本家なら乗り越えられると思ったからこそ、神様はこんな試練を与えたのだろうか。
私はそうは思わない。この大ピンチを笑顔に変えるために、死にものぐるいで家族それぞれが踏ん張ったことを、娘と母の涙があったことを、忘れずにいたい。そんなことを思った『かぞかぞ』第2話だった。
(文・明日菜子)
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