“花岡に死”に向き合う三者三様の正義
そんな折、亡くなった花岡の妻・奈津子(古畑奈和)が寅子を尋ねてやってくる。顔を見るなり、寅子は「ごめんなさい」と頭を下げる。花岡の異変に自分が気付いていたら、何か変わったかもしれないと思ったからだ。
これは見方によっては傲慢かもしれない。かつてともに学んだ仲間とはいえ、一緒に暮らしていた家族を差し置いてなぜ自分なら、と思ったのか? と。
奈津子は「家族が何を言っても変わらなかったから、それで変わったら妬いてしまう」とやんわり返答しつつ、寅子にいつかのチョコのお礼を丁寧に伝えた。あのとき、家族が久しぶりに笑顔になれたという。
当たり前のことかもしれないが、人を支えるのに正解も不正解もない。寅子の、とにかく目の前のできることをしようとする姿勢が、沢山の人を救うことに繋がるのか、本当のところはわからない。しかし、当事者の気持ちに寄り添うことで救われる人もいるはずだ。
画家として活動していた奈津子の画をこっそり買い集めていた桂場は、具体的な策を講じていたといえる。それをこっそりやっていて、寅子に悟らせまいとしていたところが憎い。
そして法を遵守して命を落とした花岡を「大バカ野郎」と言った多岐川は、花岡の死に怒り続けなければならないとも言った。なぜそんなことが起きなければならなかったのかと問い続けること。このセリフは、多岐川の花岡への愛の裏返しだ。
朝鮮から引き揚げてきたときに戦争孤児に手を差し出され、子どもたちを幸せにすることに自分の使命を見出した多岐川。目の前の戦争孤児を救うための手っ取り早い解決策は、お金か食べ物を渡すことだろう。しかし、多岐川はもっと大きな枠組で問題を捉え、法を整備し、家庭裁判所をつくることでより多くの人々を救うことを目指した。
三者三様の正義。そのどれもが正解で、どれもが同時に存在すべきものだ。