寅子はなぜあそこまで怒ったのか?
寅子が法曹の道に進むきっかけを作ってくれたのも、共亜事件で窮地に陥った父を救ってくれたのも穂高だ。寅子にとって、穂高は間違いなく恩師であり恩人。だが同時に、途中で心を折られ、世の中こういうものだと梯子を外されたこともあった。穂高にとっては大きな理想に対して、まだ志半ばというか、そもそもすぐに変えられるものでもないと思っていたからこその「雨垂れの一滴」という表現なのだろう。謙遜というか、老いゆえの諦念といおうか。
だが、まだまだ若い寅子にとって、それは頭では理解できても、心では納得したくなかった。すぐには変わられない現状、でも踏ん張っている自分。理想を目指している途上を、否定されたように感じた。だからこそ、「謝ってもダメ、反省してもダメ、じゃあわたしはどうすればいい?」と言った穂高に対して、「どうもできませんよ!」と大声を出したんじゃないだろうか。どうもできないことは、寅子にだってわかっている。
ただ、寅子が抱える怒りや焦りやモヤモヤを、ぶつけるべき相手であり場所なのか?と問われると難しい。寅子の心情はわからなくはないが、穂高に対する甘えがあったのは間違いないだろう。法曹界における父親的存在の穂高に、寅子は甘え切っていた。だからこそ、この意見のぶつけ合いを経て、最後にはお互いを誇りに思っていることを伝え合えたのはよかったなと思う。穂高が亡くなってしまっても、大きな後悔はせずに済んだことだろう。