“産める環境”と“産めない環境”の残酷すぎる対比
そして、水季と同時期に子どもを授かっていた弥生(有村架純)。彼女は、当時の恋人・悠馬(稲葉友)に妊娠を報告する前、カフェインレスコーヒーを頼んでいた。ということは、その時点では産む意思があったのだろう。
しかし、悠馬は当たり前のように「いつ、するの? 手術っていうか」と堕胎を勧めてきた。そんなことを言われてしまったら、弥生も「産みたい」なんて言えるはずがない。また、悠馬は妊娠を“他人事”としか捉えておらず、「いい選択だと思うよ」なんて言ってくるものだから、弥生もつい「ありがとう。“相談”に乗ってくれて」と返してしまう。弥生がひとりで“お母さん”になったわけではないのに。
その後、母に電話で妊娠を報告したのは、最後の賭けのようなものだったのではないだろうか。明らかに放任主義なタイプの親だから、堕胎をする決意が固まっていたのなら、弥生も電話をかけなかったはず。もしも、あのタイミングで水季の父のように「本当は産みたいんでしょ?」と言ってくれる親だったとしたら…。
しかし、弥生の母は当たり前のように「じゃあ、堕ろしな」「私、(子育てに協力するの)無理だからね。無理だから」と娘を突き放した。「相手に似るなら産みたい」と思えるような恋人ではなく、甘えられる家族もいない。水季と弥生の妊娠発覚時を横並びで描くことで、“産める環境”と“産めない環境”の残酷すぎる対比が明らかになり、胸が締め付けられた。