制作陣が体現する「信じる」という解
自分にとって不都合な情報を無意識のうちに無視したり、過小評価したりすることを正常化バイアス(または正常性バイアス)という。
かつて津幡はオペ看として手術に参加した際、患者の脳の酸素飽和度が低下していることに気づいたが、優秀な麻酔科医たちが誰も指摘しなかったため、口をつぐんだ。結果、患者の脳には重大な障害が残り、数ヶ月後に死亡。その後悔から津幡は”安全の鬼”と化した。
ミヤビに手術をさせないのも、大迫の「不安に負けない覚悟がなければメスを握ってはいけない」という言葉を受け、今の状態で彼女がメスを握れば患者を危険に晒す可能性があると判断したため。実際、ミヤビもまだ手術ができるだけの“心の準備”ができていなかった。
慢性硬膜下血腫患者の転院依頼が来た時、ミヤビが見せた表情から津幡がすぐに不安の色を感じ取ったのは自分にも心当たりがあるからだろう。津幡もまた前述の手術以来、手術道具を持つと手が震えるというトラウマを抱えていたのだった。
不安やトラウマを克服するにはどうすればいいか。本作はその問いに「信じる」という解を出す。ベッドから落下したことで急性硬膜下血腫が生じた患者の緊急手術で津幡がトラウマを克服したのは、鍵のしまったオペ室のドアを三瓶やミヤビたちが必死にこじ開けようとする姿を目の当たりにしたから。その時、彼女は理屈ではなく仲間を信じようと思ったのだ。
「信じる」というのは、ある意味とても危険な行為だ。津幡も優秀な麻酔科医たちを信じたがゆえに、患者の死を招いてしまった。だけど、人間は完璧じゃない。どんなに優秀な人でもミスを犯すことはある。
だからこそ、お互いに何かあった時は相談し合ったり、指摘し合える仲間が必要で、そこには信頼関係がなければならない。患者がベッドから転落したのは看護師たちの確認ミスが原因だったが、津幡は自分が相談しづらい雰囲気を作っていたことを反省。
「本当の安全というのは仲間を信じて力を合わせることから生まれると、私も学びました」と頭を下げる。無音の中、周囲にいる病院スタッフ一人ひとりの表情がゆっくりと映し出される場面が印象的だ。それこそ、制作側がキャスト全員を信じているからこそできる演出であり、それによって信頼が生まれる瞬間というのをじっくりと味わうことができた。