原点は同じなのに…三瓶と大迫の医師としてのあり方
ノーマンズランドとは、医学的に人がメスを入れてはならない領域のこと。けれど、ほんの少しでも希望があれば、三瓶はリスクを取ってでもミヤビの記憶障害を治そうとする。大迫は、そう確信していた。
大迫が三瓶の人間性をよく知っていたのは、かつての同僚だったからだ。2人が別の大学病院に勤務していた頃、意識障害で昏睡状態の少女が入院していた。だが、三瓶が検査をした結果、少女には意識があることが判明。医療全体のために個である少女を切り捨てようとする教授や大迫の反対を押し切り、三瓶は当時は国内で未承認だったITB療法を少女に施した。大迫と三瓶の医師としてのあり方は、この頃から明白に異なっていたのである。
だけど、共通点もある。今回、大迫と三瓶がどちらも“きょうだい児”(重い病気や障害を抱える兄弟姉妹のいる子ども)だったことが明らかになった。世間に遠慮しながら生きる姉を見てきた大迫と、重度障害者の兄を本人の意思に反して適切なケアを受けられる施設に入れた三瓶。そうやって彼らを隅に追いやるのではなく、障害者も健常者も等しく光の下で暮らしていける社会を、と願う気持ちはきっと同じなのだろう。
だが、その社会をいち早く実現するために急ぎ足で進んでいく大迫に対し、三瓶はその途中で踏み荒らされていく花を見て見ぬ振りはできず、足を止めてしまう。どちらのあり方が正しいのか、簡単に答えが出せる問いではない。
ただ、大迫はミヤビのことは大義のために犠牲にすることはできなかった。ミヤビの記憶が少しずつ戻りかけている今、西島は三瓶に敢えて記憶障害の原因を伝え、彼女の命を危険に晒そうとしている。大迫は西島の工作を告発した。建て替えが中止となったら、救えるはずだった多くの命が失われるかもしれない。それを分かった上でミヤビの命を守ることを選んだのだ。
しかし、それはミヤビに対して愛着があるからである。「見えない誰かなら犠牲にできた」という西島の言葉はその通りで、大迫は自分の勤める病院に入院している見ず知らずの患者を犠牲にし得た。あの少女はもしかしたら、ミヤビだったかもしれない。答えの出ない問いに苦悩する表情から独特の色気が匂い立つ。井浦新はこういう役がよく似合う。