関西小劇団ブームと、中島らもとの出会い

国木田かっぱ
国木田かっぱ

―――中島らもさんとの出会いについて教えてください。80年代から90年代、関西では扇町ミュージアムスクエアを拠点に小劇団ブームが起こっていましたが、その頃でしょうか。

「そうですね。僕は1985年に小劇団『かっぱのドリームブラザーズ』を立ち上げ、扇町ミュージックスクエアを拠点に芝居をしていました。同時期、中島らもさんが主宰する笑殺軍団『リリパット・アーミー』も活動していて、ずっと『けったいなお芝居しはるなあ』と気になってましたね。らもさんはすでに深夜テレビに出ている有名人で。それでも関西小劇場は垣根が低かったので、気軽に小さな舞台も出ていたし、同じ『小劇団の舞台人』という目線で接してくれていました。

あるとき、僕がプロデュースする作品に出演してくれる役者を集めるため、知人に声かけを頼んだら、なんでか知らんけど、らもさんが来てくれたんですよ。あれはびっくりしましたね(笑)。遠慮しまくって、一緒に飲むのもほとんど行けなかったです」

―――そんなお2人の距離が縮まったのはいつごろでしょうか。

「きっかけは、1989年上演のリリパット・アーミープロデュース『翼のはえたブーツ』というお芝居ですね。すごく小さな役だったんですが、演出のG2さんが『この役は、若いけど達者な人に演じてほしい。でもほんまにちょっとの役やから申し訳ない。どうしよう』となって、僕に声をかけてくれました。そこからですね」

―――中島らもさんと言えば、作家としてのイメージが強いです。かっぱさんから見た、役者としてのらもさんの魅力を教えてください。

「見た目はなんだか頼りない感じですが、プロ意識がすごく高いし、急に芝居を変えたりしないです。

そういえば、僕と、らもさんともう一人、Aさんの3人の舞台に、ゲストでキダタローさんが出たんです。そして、Aさんがキダさんとのシーンで、笑いが取れると思ったらしくて、わざと違うセリフを言うたんです。キダさんは役者じゃないので、慌ててしまって。結局なんとかごまかせたんですけど、楽屋に戻ったら、らもさんがすごく怒っていて。Aさんに『ええか、俺たち3人は、この舞台に笑いを取るために来てるんじゃない。お芝居を作るために呼ばれてるんだ。履き違えんなよ』と言うたんですよね」

―――かっこいいですね!

「でしょう。実は僕も1度セリフで、しょうもないギャグがあったんです。『体がガタガタ震えて寒いよ。おーさむ…』と袖から出る僕に、らもさんが『あ、オサム』と声をかけるシーン。これがめちゃめちゃ恥ずかしくて言わずにいたら、らもさんに裏に呼び出されて、『かっぱくん、こういう小さな笑いを1つ1つ取るのも大事と違う?』と言われました。かっこいいですよね」

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