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兄弟作としての『正体』と『ヴィレッジ』

©2024 映画「正体」製作委員会
©2024 映画「正体」製作委員会

『正体』と『ヴィレッジ』はいわば、横浜流星の顔をめぐる兄弟作みたいなものだと考えられる。

『ヴィレッジ』の横浜は、それが喜びなのか、それとも怒りなのか、はたまた哀しみなのか、判然としない複雑な感情を主人公・片山優の表情として仮託しながら表現している。

 作品全体の底流をなすのは、能楽の幽玄的異世界。能面はそれ自体に表情がないはずなのに、能楽師が装着した瞬間にいききとした表情が生まれることは「面とペルソナ」の和辻哲郎が指摘している。この面の不思議こそ、内面に裏打ちされない外面の芸術の真髄である。

 その意味で『ヴィレッジ』の複雑化された表情はあくまで主人公の内面を表出したものであるのに対して、『正体』では(表情云々ではなく)顔そのものとしての外面の演技がひたすら強調されることになる。

 たとえば、安藤のマンションから逃亡したあとの鏑木が鏡の前に立つ場面。目を細く加工するなど、今まで以上に徹底して別人になりすます。自分の身体だけは同じ入れ物でありながら、面だけを入れ替えていく。この身体と面との関係性が能楽的でもある。

 両作にはさらに共通する場面がある。安藤のマンションを仮住まいにする鏑木が、悪夢にうなされて起きる朝の場面。「うわぁっ」と目を見開く瞬間が顔のアップで捉えられる。
 
 同様に『ヴィレッジ』の優もまた悪夢を見て目覚める。目元のアップが息の荒さを伝える。鏑木が飛び起きるソファと優が寝起きする万年床。横浜が主演する藤井監督作で繰り返し描かれる悪夢の起床場面は物語序盤に置かれる。そうして、俳優の外(内)面とキャラクターの内面が徐々にリンクしながら、横浜の演技がフィジカルとして起き上がる作品構造になっている。

 つまり、藤井監督の作品は、二重、三重の意味をどんどんオーバーラップさせながら、横浜流星の演技を重層化している。

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