「演じるではなく生きる」
横浜流星の役者としての矜持
『日曜日の初耳学』でMC林修の質問に答える横浜は、演技は「嘘」であるという当然の確認をした上で、それでも演技世界の「リアル」を自分は求めると明言していた。
さらに「演じるではなく生きる」と繰り返す横浜は、林との対話の中で最後にストイックな役作りは誰かの影響なのかと問われ「当たり前のことを当たり前のようにやっているだけ」と言い放った。
カッコよ過ぎる。過剰な役作りが過剰な内面の名演だと思われがちなデ・ニーロのようにシグネチャー(署名)となるような顔を現在の横浜が必ずしも浮かべているわけではないが、それに匹敵する“何か”が『正体』の顔からは強烈に感じられる。
全編がその何かの正体を探り、横浜流星の次なる目的地を見極める作品でもある。それがどこにどう向かうのか。困ったことにこれが全く想像できない。初出演にして初主演の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(NHK総合)に徹することになる2025年を経て、その顔に何かがはっきりと浮かぶようになるのかもしれない。
『正体』で最終的に介護士として身を隠す鏑木を見て、星由里子と共演した『全員、片想い』の一編「イブの贈り物」(2016)の介護士役が(短編ながら)初期を代表する名演として思い出されたりもするが、さらに最初期の映像作品である『横浜流星1st DVD 「R」』(2014)で、横浜流星の頭文字をとったタイトルが、『顔』という一文字の改題作に思えてくるのは、ぼくだけだろうか?
(文・加賀谷健)