カメラが捉える長閑な空気の正体
「危害を加えられたら自分が殺すしかないのか」
一時はそこまで追い詰められていた知明さんは就職を機に家を出ている。会社員を経て映画学校で学んだものの、家族にカメラを向け始めた34歳の知明さんはまだ映画監督ではない。本作に記録された映像の多くも公開を前提に撮影されたものではないだろう。ならば知明さんはなぜ家族を撮ろうと思ったのか。何を撮ろうとして来たのか。何のために、そして誰のために撮り続けて来たのか。
「このままだとなんの記録も残らないと思った」
知明さんはナレーションでそう語っている。
「記録」――18年間、姉の病気を放置し続けている両親の「間違い」を証拠として残しておく。自分は病院に連れていくよう何度も伝えたことを記録しておく。そんな思いを感じた。
冒頭の音声にあったような姉の叫び声やそれに翻弄され狼狽する家族といった、ある種の戦場のような衝撃的な映像が続くのではないかと身構えた。だが、知明さんが2001年から家の中で回し始めたカメラに映っていたのは拍子抜けするほど、ごく普通の家族の団欒だった。のろまな日溜まりで笑っている家族の日常だった。
カメラを向けているのが外部の第三者ではなく、家族の一員だからなのか。「ホームビデオだから」と言われて体裁を繕っているからなのか、両親はとてもリラックスしてインタビューに応じているように見える。だが、見続けるうちにそこに漂う長閑な空気の正体に気づき、戦慄した。