ロッククライミングのようなストーリー展開
また目に入るものだけではなく、登場人物の口調も昭和。
「縁起でもないこと、言いなさんなよ」
「夜中にご不浄に起きるとね…」
こういうセリフに耳を傾けていることも、また一興。よくドラマや映画でも過去を再現する映像が出てくるけれど、どこか整合性が足りず、不満を覚えることがあるけれど、『阿修羅のごとく』に関しては一切なし。
当時はこんな日本だったのかと昭和を満喫できる。本当によくできていた。映像を見て懐かしむもよし、若い人の間で最近流行しているという、昭和レトロをチェックするもよし。
全7話を視聴して感想をひと言でまとめるとするなら…と、言葉に迷った。そこで浮かんできたのが「ロッククライミングのようなストーリー展開」。序盤は昭和レトロのインパクトに目が行きつつも、中盤で登場人物全員のエゴや欲が滲み出てくる。
この辺で「うーん?」と一瞬、物語の追い方に迷う。が、終盤に来るとひとりごちて見ていた私が「ええ?」と、声をあげてしまうほどの目まぐるしい展開が押し寄せてくる。つまり、忙しい。登ったと思ったら、また突き落とされて、また登って。ああ、ロッククライミングだと発想した。
その物語の緩急の一旦を担っているのは、不倫と浮気。竹沢家の父・恒太郎(國村隼)にはじまり、巻子の夫・鷹男(本木雅弘)、陣内と皆、当たり前のようにパートナー以外と恋愛をしている。綱子も料亭の主人と不倫関係を続けていて、その妻から静かに攻撃を受ける。誰かが誰かを裏切って、そこにどうでもいいような感情が溢れ出す様を描いているのが見どころのひとつ。見ているうちに「こいつの不倫相手はこいつか?」と詮索をはじめる自分がいた。