「愛情は危険だ」
バイオレンスに宿る三池監督の愛情
―――今回の作品はグループショットが多く、多種多様な登場人物をフレームに共存させています。キャスト全員が誰一人として蔑ろにされておらず、とても素晴らしいと思いました。大人数を演出するのはすごく骨の折れる作業だと思うのですが、どのようなことを心がけていますか?
「みんな主役を目指してオーディションにやってくるわけで、別のキャラクターに配役されたらやっぱり悔しいと思う。でも人生ってそんなもんじゃないですか。だからワンシーンだけのどんなに小さい役でも現場では楽しんでもらいたいんですよね。
役者に『主役じゃなかったけど演じていて面白かった。やっぱり役者をやっていこう』って思ってもらえるようにするのが映画監督の職業だと思っていて。それは自分にとっては大事なことなんですよね」
―――それは映画にも濃厚に表出されていると思います。
「そもそも僕自身が映画界において本流ではなくVシネマという傍流からキャリアをスタートした人間なので、傍流を否定したら自分自身も成立しない。長くやってると一瞬逆転することもあったりして、輝きを放つ瞬間がある」
―――主役よりも輝いて見える瞬間があると。
「でも問題は、現場でそういう瞬間を実現できても、編集で潰されちゃう可能性もあることです。なかなか難しいよね」
―――編集作業はシナリオに帰る、という側面がありますよね。編集で物語を成立させる過程でこぼれ落ちてしまうものがあると。
「ただね、今回の映画もそうだけど、結局不良の物語は登場人物全員が主流じゃない人なわけです。日の当たらない場所にいる奴が輝く。それで十分かっこいいし、そのままでいいんじゃないかと。
何かになろうとして努力して夢を掴み取る物語もいいけど、そこには一瞬の喜びはあっても、それと同時に、観ている人に苦痛を与えているような気もするんだよね。『現実はあんなふうにはいかないな』って。
でも、ある種の映画では、観客の人生よりもシビアな現実に直面している登場人物たちがいて、それでも楽しそうに生きている姿を見て勇気づけられたりするわけで。別に主役にならなくても、夢を掴めなくても、その人自身がそれぞれのあり方で輝いていればいいと思う。綺麗事じゃなくて、映画監督ができることって、それを提示することに尽きるのではないかと思います」
―――多様な登場人物の一人ひとりに強い愛情が注がれる三池映画の根幹にある哲学を伺えて、すごく嬉しいです。
「“哲学”というよりかは、そうあって欲しいっていう“願望”だよね。業界には不器用で、何十年もずっと下積みをやってるような人もいて。悔しい日々を送っていると思うけど、僕らのちょっとした工夫で、現場終わりに『今日のビールは美味いな』って思ってもらいたいんだよ。
エンターテインメントって、そうした感覚を間接的にお客さんに味わってもらうためにあると思うんだけど、僕は、それを役者たちに現場で実感してもらうことに価値があると思っていて。
それをやろうと思うとバイオレンスになるんだよね。言ってしまえば脇役って、主役が強いことを証明する役割だけど、倒れ方や、それでも立ち上がって悪あがきするサマに輝きは宿るし、本来は殴られて倒れたままでいい役が、起き上がって暴れてもいい。そういうことをできるのが映画監督だと思う。その愛情を描こうとすると、必ずバイオレンスに繋がるし、暴力描写も激しくなる」
―――三池作品のバイオレンス描写は役者への愛情に根ざしている、と。
「日頃悔しい思いをしてる人に、『でも今晩のビールは美味しいな。役者やってて良かったな』って思える瞬間があることと、映画が何十億というヒット作になってお金を生むのとは、価値はそれほど変わらないように思えるんだよ。だから愛情は危険だってね(笑)」
(取材・文:山田剛志)
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