ザラっとして温かみのある松村北斗の声
主演は今作が初共演となった松たか子と松村北斗。ふたりはそれぞれ倦怠期を迎えた40代の夫婦と、出会った頃の初々しい29歳の男女の両方を演じている。
それにしても、坂本裕二の脚本で語られる松たか子のセリフは、なんでこうも魅力的に聞こえてくるのだろう。放たれる言葉はどこまでも遠回しで、一歩間違えばキャラクターの素顔が一切見えてこない可能性だってある。
それなのにカンナが過ごす日常やぽろっとこぼす言葉には、あまりにも”彼女らしさ”が溢れている。コタツで寝るのが好きなところ。夫の靴下を勝手に履くところ。洗い物が増えるから、コーヒーを淹れたマグカップにトーストを載せるところ。
自身のプロフィール欄を埋めるときでさえ、とりたてて記載しないであろうささいな仕草が、エスプレッソのように凝縮されてカップに注がれると、なぜだか彼女のすべてを知った気になってしまう。もはや、松たか子と役柄の区別がつかなくなっているほど、観ている人にとっての共通認識として「硯カンナの性格」は受け入れられているように感じた。
そんな松たか子の夫として、同じく29歳と40代の硯駈を演じたのは松村北斗。映画『夜明けのすべて』(2024)で俳優としての評価を高めてから一年も経たずして、さらなる自身の代表作となる見事な芝居を披露している。
演技はもちろん、松村は声質もすばらしい。ザラっとして少しかすれる、でも温かみのある声。駈が柔和な性格だからこそ、声に帯びる色気が際立っていた。15年後の駈を演じたときの深みのある声も、ラストシーンが観客の胸に響いた理由のひとつだろう。
「これ以上、僕をドキドキさせないでください」と松村北斗に3回も言わせたのは、カンナだけでなく、観ている人の期待にもお応えしてくれたからなのかもしれない。実際、彼女がこっそり録音したくなる気持ちは痛いほどわかる気がした。