パートによって変化を見せるカメラワーク

―――撮影スタイルについてもお聞きしたいのですが、シーンごとにカメラワークを使い分けている印象を受けました。冒頭、タクオの横顔を映したカメラは、被写体からどんどん遊離していって木の葉に焦点を合わせます。一方で、タクオの父・サネオの青年時代のエピソードは人物を構図の中心に据えて律儀にアクションで繋いでいますね。
「そうですね。敗戦で1つの時代が終わるというのは青山版のシナリオでも明確に描かれていて。戦後、タクオの少年時代のエピソードから、まったく違う映画が始まったとまではいかないまでも、お客さんが体感する時間は変わらなければいけないというのは思っていました。現代パートは長回しが多いんですけど、現代を生きているタクオは、観客と同じ時間を共有しているということですね。
サネオの若かりし頃のエピソードはいわゆる活劇。ご指摘くださったように、アクションで繋いでいくという意識を持っていました。そこから少年時代のタクオのパートに入るのですが、そこではタクオの視点がカメラワークの拠り所になっています。父親をずっと追っていたカメラが、敗戦を機に少年の方に寄っていく。ドラマの進展につれてカメラワークを変化させつつも、あくまで変化は緩やかに、少しずつ変わっていくという風にしたいなと思いながら作っていました」
―――そうでしたか。腑に落ちました。
「青山さんが大学で映画の授業をされていた時に、映画を一枚のアルバムとして捉えるっていう考え方もあるとおっしゃったことがあって。その点今回の映画は、一つの曲の中で、急に転調したりとか拍が変わったりするプログレ(プログレッシブ・ロック)に近いかもしれません。その辺りは、最初の段階でカメラマン(米倉伸)と話し合いながらイメージを共有していきました」