原作を映画に落とし込むことの難しさ

西野七瀬
西野七瀬【Getty Images】

 映画では主に、罪を抱える和正と美羽のストーリーと、震災によって心に傷を負った親子の物語が軸に据えられている。

 ただ、原作小説では、多聞が岩手から熊本までを駆け抜ける道中で、異なる年代、異なる環境におかれたさまざまな人々に出会う。多聞を一様に愛した彼らは、名残惜しくも小さな体躯に未来を託していく。

 7つのエピソードが綴られる連作短編集『少年と犬』の一貫した主人公は、誰でもない多聞だ。もちろん、短い一本の映画で一匹の犬を主軸にして、各地で出会った人々との関わりを満遍なく色濃く描くことは至難の技だろう。

 映画化にあたり、いくつかの連作短編のエピソードが削られている。そのため、5年の歳月をかけて日本列島を縦断する多聞の、老若男女かかわらず多くの人々に安らぎを与え、満身創痍になりながらも走り続ける姿がもたらす感動が薄れてしまったように感じた。

 それぞれのエピソードが独立した物語として存在していて、顔も名前も知らない人々が言葉ではなく多聞を通して、遂げることのなかった想いをバトンのように手渡していく。決して日の目を浴びることのない彼らの連帯も、原作の物語における魅力のひとつだ。

 だからこそ、各地の登場人物たちが実際に対面することなく、見えない絆で確かにつながりながら多聞を送り届けていくストーリーも見てみたいと思ってしまった。

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