調和を生み出す“声”
一律に調和した物語の世界観に溶け込むのは、いずれも多くの作品の顔を飾ってきたヒロインたちだ。
今さら特別な前置きなど必要のないくらい、近年、放映された映像作品で眩いほどの活躍を見せてきた広瀬すず、杉咲花、清原果耶。彼女たちを同じ物語に生きる登場人物として眺めることができるのは、もはや奇跡と言っても差し支えない。
杉咲の悲しみを湛えた瞳に引き寄せられていると、清原の無邪気な表情と凛とした眼差しのギャップに射抜かれる。2人がコロコロと表情を変えていくシーンに釘付けになっていると、広瀬の物憂げな芝居に心を奪われる。あまりにも目が忙しい、贅沢な時間だ。
土井裕泰監督が映し出す3人の表情には、互いへの信頼がありありと浮かぶ。これまでずっと片時も離れずに過ごしてきたのではないかと思うくらい、気心のしれた関係性が構築されていた。
芝居はもちろん、3人の心地いい調和を作り出している“声”にも注目したい。それぞれ声の質感が違うためか、間髪が入らない会話劇でもなんとも聴き心地がいい。言葉は決してぶつかり合うことなく、ときに重なって、ときに馴染んでいく。
冒頭で、さくらの20歳を祝うために美咲と優花が声を合わせる「お誕生日おめでとう」も、優花とさくらの声が揃う「トイレの扉は閉めること」も、セリフが被っているのにはっきりと声が聴こえてくる。それも、無闇に個性を主張しているわけではなく、ひとつの言葉のかたまりとして届く力があった。
思えば「合唱」という歌唱方法もそうだ。多くの声が響くなかで、個性はまろやかに中和される。しかし、音が幾重にも重なる歌のなかで、それぞれの声は確かに響いている。
ヒロインの3人が「声は風」を合唱するシーンでは、まるで一筋の光がプリズムを通してさまざまな色に分散するように、異なる魅力を持ったキャラクターの歌声として観ている人の心にも届いたことだろう。