あの日の肉まんのための三重奏――映画『片思い世界』の食事する幽霊たち。 なぜ少女たちは冒頭に「ラムネ」を食べるのか?

text by 伊藤弘了

広瀬すず、杉咲花、清原果耶がトリプル主演を務めた映画『片思い世界』が現在公開中だ。『花束みたいな恋をした』の脚本家・坂元裕二と監督・土井裕泰が再びタッグを組んだ本作。気鋭の映画研究者が作品の核を「食」のモチーフから紐解く。(文・伊藤弘了)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】

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【著者プロフィール 伊藤弘了(いとう・ひろのり)】

映画研究者=批評家。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。小津安二郎を研究するかたわら、広く映画をテーマにした講演や執筆をおこなっている。「國民的アイドルの創生――AKB48にみるファシスト美学の今日的あらわれ」(『neoneo』6号)で「映画評論大賞2015」を受賞。著書に『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)がある。

「ラムネ」と「肉まん」
食べたものと食べ損ねたもの

映画『片思い世界』
©2025『片思い世界』製作委員会

然して後に、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を追ひて、黄泉(よもつくに)に入りて、及きて共に語る。時に伊弉冉尊の曰はく、「吾夫君の尊、何ぞ晩く来しつる。吾已に湌泉之竈(よもつへぐひ)せり。然れども、吾当に寝息まむ。請ふ、な視ましそ」『日本書紀』(注1)

ここに伊邪那美命(いざなみのみこと)答へ白ししく、「悔しきかも、速く來ずて。吾は黄泉戸喫(よもつへぐひ)しつ」『古事記』(注2)

 冥府の食べ物を口にした者は、冥府の住人となる。日本神話の「黄泉戸喫(よもつへぐい)」やギリシア神話のペルセポネーの挿話などが伝える通りである。人間は古来より食に象徴的な意味を見出してきた。食べ物が人と人との関係を取り結ぶという観念は「同じ釜の飯を食う」といった日本語の慣用表現にも表れている。

 同じものを食べることは、同じ世界を生きることにつながる。それは映画『片思い世界』(土井裕泰監督、坂元裕二脚本)の基本原理でもあるようだ。美咲(広瀬すず/太田結乃)と優花(杉咲花/吉田帆乃華)とさくら(清原果耶/石塚七菜子)の三人が、死者として同じレイヤーの世界に存在しているのはなぜか? 「同じときに、同じ場所で殺されたから」という理由はファンタジーの設定としてはひとまず十分なものだろう。しかし、どのみちファンタジーであるならば、もう少し踏み込んだ解釈をしてみたい。彼女たちが同じ世界に存在するのは、死ぬ直前に同じものを口にしたからである。

 映画冒頭のシーンで、最年少のさくらはラムネを食べようとして床にぶちまけてしまう。泣き出しそうなさくらを落ち着かせるべく、年長の美咲と優花がそれを拾い集め、スカートで拭いて、みんなで一緒に食べるのである。なぜわざわざこのようなエピソードを挿入したのだろうか。もちろん、三人の関係性を効率的に示すことができるからだろう。しかし、それだけではない。このエピソードは、同時に作品世界を貫く食のモチーフにも連なっている。『片思い世界』の人間関係は、食にまつわるエピソードを介して描かれていくのである。

 冒頭のシーンにはラムネと対をなす食べ物として肉まんが登場する。家庭環境に問題を抱えているらしい美咲は、このときもお腹を空かせている。美咲のお腹の音を聞きつけた高杉典真(横浜流星/林新竜)は、二人分の肉まんを調達するためにコンビニへと赴く。結果として襲撃の瞬間に現場を離れていた典真は難を逃れるのである。

 幽霊となった美咲は、向かいの道路に呆然と立ちすくむ彼を見つけ、彼が手にしているコンビニのレジ袋に2個の肉まんが入っていることを確認する。美咲がのちに「嬉しかった」と述懐しているように、おそらくはこの肉まんが、つまりは美咲と典真が二人で一緒に食べるはずであり、すんでのところで食べ損ねてしまった肉まんこそが、死者の思念を現実と地続きの世界につなぎとめたのである。

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