二つの坂元裕二作品を繋ぐ「餃子」
優花と母には、食をめぐるささやかながら印象的なもう一つのエピソードがある。仕事帰りの母の横を歩く優花は、彼女が提げている買い物袋の中を覗き込んで「ママのカレー美味しいもんね」とコメントする。「カレーなんか誰が作っても同じ? 違うよ。ママのカレーはぜんぜん違う」。実はこの場面に先んじて、劇中にはすでにカレーが姿を見せている。作ったのは美咲である。元の世界に帰れる可能性を真剣に模索して、素粒子物理学研究センターへ行くことを計画している優花とさくらの耳には、「ご飯、冷めちゃうよー」という美咲の声は届かない。そこに卓上に置かれた手付かずのカレーのショットが挿入される。三人のあいだの温度差を見事に剔出したシーンである。
さくらの場合はどうだろうか。両親との記憶があまり残っていない彼女は、しかし「お菓子食べてばっかりもしなかった」ことははっきりと覚えている。「お菓子我慢したのになんで」自分は殺されなければならなかったのか。犯人が出所していることを知ったさくらは、彼の職場を特定して突撃を試みる。そこで笑ってカルビ弁当を食べる犯人の姿を目にし、激しいショックを受けるのである。
美咲と優花より早く犯人の出所を知ったさくらは、当初そのことを秘密にしている。犯人の手記を出版した出版社の編集部に忍び込み、犯人の情報を入手したさくらは、帰宅後、二人で餃子を作っている美咲と優花を横目にさっさと二階の自室へと引っ込んでしまう。一緒に料理を作っている二人とみさきとのあいだの情報格差を餃子が際立たせているわけである。ちなみに、坂元裕二が脚本を手がけた『ファーストキス 1ST KISS』(塚原あゆ子監督)は「食べ損ねること」を物語の軸にしており、そこではとりわけ餃子が重要な役割を果たしている。
三者三様の「片思い」のありようとその顛末を描いたのち、映画は終幕へと向かっていく。三人が長年暮らした家には買い手が見つかり、新たな住人がやってくることになる。リノベーション工事の作業員たちと入れ違いになるような格好で三人は家を離れる。次の家の希望について話を交わすなかで、美咲は「キッチン」へのこだわりを見せる。「ベッドで優雅にブレックファスト」を夢見る優花は、美咲にとろとろのオムレツを所望し、さくらも「いいねー、美咲さん、ごちそうさまです」と調子を合わせる。彼女たちの希望するような新居が見つかるかどうかは定かではないが、どこに住むことになろうとも、そこで三人が一緒にご飯を食べていることだけは間違いないだろう。
(文・伊藤弘了)
注1 『日本書紀(一)』「巻第一 神代上 第五段」坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注、岩波文庫、1994年、42頁。
注2 『古事記』「上つ巻 伊邪那岐尊と伊邪那美命 6 黄泉の国」倉野賢校注、岩波文庫、1963年、28頁。
【図1】「映画『片思い世界』【本当に片思いのままでいいの?編】」東京テアトル公式チャンネル、YouTube、最終閲覧日2025 年4月22日
【図2、3】「映画『片思い世界』特報」東京テアトル公式チャンネル、YouTube、最終閲覧日2025年4月22日、
※劇中のセリフは坂元裕二『片思い世界』(リトルモア、2025年)から引用している。
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