見方が変わる巧な演出
『関心領域』(2024)はアウシュビッツ収容所の隣に住む家族を描いた映画で、すぐそば大量虐殺が行われているというのに見向きもしない家族の「無関心さ」が生々しく描かれる。
「無関心」というのは一種の「暴力」で、知らず知らずに他者を傷つける。そんな小西の無関心が指摘されるのが、本作のクライマックスの1つである、銭湯清掃を終えた帰り道でのさっちゃんの長台詞だ。
原作小説で約6ページに渡ってまくし立てられるのは、秘められていた小西への“想い”。そして、自分の恋心に鈍感な小西へ“怒り”だ。
何度もオススメしたスピッツの「初恋クレイジー」を聴かない、フルネームを聞かれて答えたときに聞き返さない、ご飯の約束をしても具体的な日程を決めない…そんなあからさまな“脈なしフラグ”、暴力的なまでの無関心を喰らい続けたさっちゃんの悲鳴にも似た叫びが、伊東蒼の迫真の演技でぶつけられる。それなのに小西は表情ひとつ変えずに茫然と、時には「まだ終わんねぇのかな」と言わんばかりに街頭をチラチラ見ながら受け止める。
この瞬間、小西と観客の感情にズレが生じ、観客が抱く彼への感情は“怒り”へと変化する。気づくと画面のアスペクト比も、ビスタサイズに戻っている。
「無関心という暴力を振りかざしていた小西」への怒りの視線は、我々観客にも向けられる。原作小説には登場しない映画オリジナルの要素で、劇中何度か「中東での空爆のニュース」がラジオやテレビから流れていたり、学生たちによるデモ隊が横切ったりする。
当初はあくまでBGMやエキストラに過ぎなかったが、登場回数を重ねるたびに主張が強くなっていく。「無関心はよくない! 小西よ」とイライラしている観客に、「いやお前もな!」とカメラの向こうから問いかけているようなハッとさせられる演出だった。