身につまされる日高先生のメッセージ

『かくかくしかじか』
©東村アキコ/集英社 ©2025 映画「かくかくしかじか」製作委員会

 さて、本作で最初に目についたのは、先述の竹刀だった。剣先や柄の革が使い込まれて変色し、日高先生の本気と厳しさを無言のまま如実に語っていた。また、明子の故郷・宮崎ならではの名字から、進学先の金沢で親しまれている鍋まで、この映画には言葉では説明されない、しかしそれにふれたことがある人ならピンとくる、様々な“本物”が詰まっていた。

 そんな映像のなかを、「身の周りのすべてが本物」と評される日高先生と、甘ったれながらもやがて本物に成長していく明子が、ときに漂い、ときに駆け抜けていく。凸凹師弟の絆と葛藤に、胸打たれる作品であった。

 ちなみに、本作には、ものをつくる人ならば身につまされるであろうシーンが多数登場する。“自分は何を表現したかったんだっけ?”病や、後から考えれば状況への向き合いが足りなかった案件、実力の不足に愕然とするところまで、あいたたた……と自己を振り返ることになる。

 特に出色なのは、大学に進学した明子の見事な堕落っぷりだ。漫画家を目指すはずが在学中には全然描かず、卒業単位のための課題すら事欠く始末。サボり仲間たちと街に繰り出し、毎日をダラダラと楽しんでしまう。夢や目標があっても、ついそうなってしまうのは人の常だ。

 そんな明子に、先生は「描け!」と言い続ける。繰り返されるこのメッセージは、観客の心にも迫るものがある。日々を生きていると、とかく行動の意味や物事の実現確度を考えがちだが、そんなことより手を動かせ、夢中になれと伝えてくる。やらない言い訳は、いくらでも手に入る。それを振り払い、ひたむきに打ち込んだ者だけが到達できる境地が、たしかにある。

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