「役作りの肝は普通であること」映画『「桐島です」』主演・毎熊克哉が語る実在の逃亡犯を演じて見えたもの。単独インタビュー
1970年代に起きた連続企業爆破事件の指名手配を受けていた桐島聡が、2024年1月、突然名乗り出てその後病院で死亡したニュースが日本中を席巻した。謎に満ちた桐島の半生を描いた映画『「桐島です」』が絶賛公開中だ。今回は、桐島を演じた主演の毎熊克哉さんにインタビューを敢行。作品への想いを伺った。(取材・文:あまのさき)
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「俳優として嬉しい。同時に、怖い」
オファーを受けて
―――先ほど改めてフライヤーを拝見していて、毎熊さんと桐島聡のお写真がすごく似てるなあと感じました。意識されて作り込んだんでしょうか?
「『寄せてきましたね』ってよく言われるんですけど、自分では『そんなに似てる?』と思ってます(笑)。そこまで具体的に模そうという感覚はなかったので、髪型と眼鏡の力ですかね」
―――ビジュアルを近づけようという意図はなかったんですね。
「そこまではなかったですね。役のヒントとして、残っている写真や動画からイメージする人物像――あ、こういうふうに笑う人なんだ、とかはありましたけど、顔の角度を意識するとかはやってないかなあ」
―――そうだったんですね。今回、指名手配を受けながら逃亡を続けた桐島聡のオファーを受けたときはどんなお気持ちだったんでしょう?
「すごく早いなと思いましたね。1月に桐島が発見されたという報道があって、5月ごろには脚本をいただいていたので、約3ヶ月間でここまで形になっているのは早いな、と。桐島聡という人物を映画にするんだという驚きももちろんあったんですけど、自分としては高橋伴明監督が撮る映画で自分に声を掛けてもらっているというほうがインパクトは強かったですね。普通に俳優として嬉しい。同時に、なぜ私なんだ、嬉しいけど怖いなあっていうのはありました」
―――監督とオファーの理由などお話はされたんですか?
「いや、なかなか自分ではそういうのは聞けないので。ご一緒するのは初めてですけど、過去の自分の何かの作品を観てくださって、ということだとは思います。桐島は謎に包まれたキャラクターですし、脚本に色濃く書かれていたわけでもないので、演じる人によって変わってくる役ですよね」
役作りの肝は“普通”であること
―――本当に、人となりがわからない、けれども実在の人物で、というところで演じるのも難しそうです。
「事件そのものを調べても桐島の人物像や思想がわかるものはほとんどないんです。映画をつくるにあたっての役作りとしては、あまり参考にならなかったですね。誰かから見た桐島聡のイメージみたいなものはあったとしても、じゃあそれが本当に桐島の本質だったのかというのもわからないですし。そうなってくると、残された数点の写真や動画、あとは音楽ですかね。キーナにギターを教えてもらったというのはフィクションですが、部屋にギターがあったというのは事実で、音楽が好きだったのかな、と。そういうところをきっかけに役をつくっていきました。
あとは、やっぱり台本ですね。台本に書かれているシーンで何を感じるかを撮影が始まる前に考えるんですけど、実際に現場に行くと通用しなくなることが多い。特に今回の役は、ものすごく作り込んで挑むというよりは、ここで起きていることで何を感じる人なのかというのをずっと探しながら演じていました。同時に、やっぱり謎のキャラクターでいて欲しいという思いもありましたね。
映画を観た方にとって、謎のままであってほしいというか。自分が思った桐島聡を色濃くすることよりも、いわゆる普通の人が、なぜか犯罪の道へ行き、捕まらずに普通に生活したという、その普通さが自分のなかでは肝でした」
―――たしかに、逃亡生活と聞いて想像するものとは少し違いますよね。印象的だったのは、時を重ねるにつれて桐島の部屋にどんどんものが増えていく点でした。本当に普通に生活をしていたんだなあ、と。
「違和感がなかったんじゃないかなと思うんです。事件に関わる資料でも、そこまで名前が出てこないというのもそうですが、約50年間、海外に逃げたわけでもなく、捕まらず、普通にその辺にいたわけじゃないですか。なんでだろうな、と考えたとき、やっぱり普通だったからなんだろう、と。嘘を吐いたり、コソコソしていたりする人って、目立つ気がするんですよね。桐島の場合は、内田洋という偽名は使っていましたけど、恐らくそれ以外は普通に過ごして、普通に人と接していたから、違和感がなかったんじゃないかな。なので、普通であることというのはかなり意識していました」
「普通であること」を軸に築いた人物像
―――ホームページなどにも「弱い立場の人に寄り添う」ということが大きく書かれていますが、通常、犯罪者と聞いてイメージする人物像との乖離も、普通を意識することで、バランスはとりやすかったのでしょうか?
「そうですね。どちらかというと、極端に優しくもなく、極端に過激な正義感を持っているわけでもなかったんだと思うんです。皆さんがテロリストだと思っているからこそ寄り添う優しさが際立つだけ。我々が社会生活のなかで当たり前に持っている優しさや気遣いが、普通に桐島にもあって、なのにテロリストという先入観があるから、優しさが際立ったんじゃないかな」
―――先ほど、今回の作品では「現場で探しながら演じた」とおっしゃっていましたが、特に印象的だったシーンはありますか?
「ルーティンのシーンですね。作品のなかで何回か、桐島が朝起きてから会社に行くまでの何の変哲もないルーティンが繰り返されるんですが、そこが1番大事だと思って演じました。時の流れとともに、同じルーティンのなかでも心持ちがちょっと変化しているというか。逃亡者だから、最初のころは朝起きて窓を開け、警察がいないかなと思ったかもしれないですけど、時間が経つにつれて、いつまでこの朝を迎えるんだろうと思うこともあったかもしれない。
あとは、コーヒーの味も若干違ったんじゃなかろうか、とか。最初は『ああ、久しぶりにコーヒーをゆっくり飲んだな』と感じたかもしれないし、爆弾が爆発する夢から目覚めた朝は、いつもよりも苦く感じたかもしれない。本当に些細なことなんですけど、時間の重さを表現できるのが、あのシーンくらいしかなかったんですね。
何かが起きるわけではないんですけど、その前に桐島の身に起きたことを受けて、自分なりに感じたことを少しだけ入れている感じ。観てくださる方がどれくらい感じるかはわからないし、気付かれなくてもいいくらいの気持ちなんですけど、実は結構大事にした部分です」
桐島の人生に、幸せな瞬間はあったのか?
―――あとはやっぱり、キーパーソンとしてキーナの存在も映画を語るうえでは欠かせないですよね。桐島にとってどういう存在だったと思いますか?
「自分だけが好意を持ってるほうがよっぽどマシだったという気がしますね。彼女の歌を聴いたりギターを教えてもらったりという、生活の1つの要素でよかったのに、と。まさか自分に好意を持ってくれるなんて、勘弁してくれって感じですかね。
ただ、演じる上ではそこまで深く考えてなかったです。キーナに『好きかも』と言われて、そこで初めて頭をフル回転して考えたんじゃないかなと思うんです。自分が桐島だと伝えたら信じてくれるかな、通報されるかな、いや、それでも好きだって言ってくれるかな、仮に逮捕されたら待っててくれるかな、とか、めっちゃいろんなことを、その瞬間に初めて考えたのではないかなと思います。
きっとあのころは、常に緊張しているというよりはある程度普通に生活していた気がするんです。だけど、いざキーナの言葉を受けて、素性を明かせないという自分の状況を再確認したんじゃないかな。最後のほうに印象的に2人のシーンが出てくるのは、こうであれたらよかったという気持ちがあって、『桐島です』と名乗った理由の1つなのかもしれません。短い青春ですよね」
―――桐島の人生を演じてみて、この瞬間は幸せだったんじゃないかなと思えた瞬間はありましたか?
「やっぱり病院で『桐島です』と言えたときじゃないですかね。病気で身体はしんどかったかもしれないですけど、内田洋として生きてきた半世紀をやっと終われるという意味では、幸せだったというか、楽になる瞬間だったのかなと思いますね」
―――演じる上でもすごくいろいろと考えてしまいそうです。
「考えましたね。あの病室のシーンが最後に組まれていたので、どうやって演じようかなとずっと考えていたんですけど、結果何もしないということにたどり着きました。何もしないというか、劇中でも終盤のシーンなので、観てくださる方々もそれぞれの感覚や受け取り方があるだろうなと思い、シンプルに名前を言うことに徹した感じです。
クランクアップのシーンだったこともあって、僕自身も役から解放される瞬間だったので、『ああ、もう終わるわ』という気持ちも込めて。自分はまだ死んだことがないのでわからないですけど、死期を悟るっていうじゃないですか。だからきっと桐島ももうわかってたと思うんです。旅立つ楽さというものもあったんじゃないかな」
【著者プロフィール:あまのさき】
アパレル、広告代理店、エンタメ雑誌の編集などを経験。ドラマや邦画、旅行、スポーツが好き。
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