「10代のころの自分に読ませてあげたくて書いた」映画『愛されなくても別に』原作者・武田綾乃インタビュー。執筆当時を振り返る
南沙良主演の映画『愛されなくても別に』が7月4日(金)より公開中だ。本作は、毒親のもとで生まれ育ち、人生を奪われて来た3人の大学生の物語。今回は、原作者・武田綾乃さんにインタビューを敢行。完成した映像を見て「なるほど」と思ったことや、原作小説を執筆した背景など、幅広くお話を伺った。(取材・文:あまのさき)
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「小説より“生きてる”感じがしました」
完成した映像を見て
―――今回、映像化が決まったときはどんな風に思われましたか?
「もともとアニメというよりは実写っぽい小説だなと思っていたので、ありがたいな、嬉しいなと思いましたね」
―――脚本にも事前に目を通されたかと思いますが、どんなふうに感じましたか?
「チェックはさせていただいたんですが、事前に原作に対してリスペクトを持っていただけるのであれば、あとはいいものにしてくださいという要望をお伝えしていたので、基本はお任せしようと思っていました。なので、見守るという感じですかね」
―――原作と比べると、セリフがかなり削ぎ落されていましたね。
「そうですね。やっぱり、小説を映像にするのはとても難しくて、書いてある通りに登場人物に喋らせてしまうと『この人、全部口で言ってるけどそんなことある?』という感じで野暮ったくなってしまうんですよね。でも、小説のなかにある行間とか間を、綺麗な映像や音楽で表現していただいて、すごく素敵に仕上げていただいたなと思いました」
―――完成した映像を見て、特に印象に残っているところはありますか?
「小説にあるところでいうと、水宝石(あくあ)がハサミで刺そうとするところは、実写で観るとこうなるのか、と感じましたね。リアルってこうなんだ、というか。自分が生きていて、すぐに目の前でああいうことが起きてもおかしくないんだということを感じたシーンでしたね」
―――たしかに、あのシーンは水宝石を演じた本田望結さんにああいったイメージがあまりなかったこともあって、インパクトがありましたね。
「そうなんです、そこも新鮮でした。本田さんとは『リズと青い鳥』(2018)というアニメ映画のときに声優をしていただいて以来だったんですが、当時はすごくお若かったので、大人になられた本田さんに演じていただいたというのもすごく感慨深かったですね」
―――そのほかに印象的なキャラクターはいましたか?
「全員イメージ通りでしっくりきていたんですが、原作にいないところで、ラランドのニシダさんがいらっしゃるのを観たときには『ふふふっ』となりました。褒め言葉なのかわからないですが、こういう方いるよね~! と思って(笑)。出られることを知らなかったので、完成した映画を観させていただいたときにすごくびっくりしたんです。ここにニシダさんが出るというエッセンスも、またよかったですね。
あとはなるほどな、と思ったのは馬場ふみかさんが演じてくださった雅です。髪色が青で、完全に原作通りじゃないんですけど、それが逆にいいなと思いました。実際に今のこの時代にこの子が生きていたら、きっと髪色をたくさん変えて、ファッションももっと派手だったんだろうなと思っていたので、小説より“生きてる”感じがしました。南沙良さんが演じる陽彩も、10代の大学生特有のかわいらしさがあって。演技派の方たちが勢ぞろいしているので、総じて、全体的にリアルだな、という印象を受けました」
「社会は簡単に一変する」
コロナ禍を経て、陽彩と雅の未来は?
―――ちなみに、これ以降の陽彩と雅の関係性はどんなふうになっていくと想定して書かれていたんですか? 小説内で「オリンピックが開催されないなんてありえない」というようなセリフもあって、2025年を生きている私たちからすると、このあとのコロナ禍というものをどうしたって意識してしまうのですが。
「オリンピックについてのやりとりは、完成する直前にわざと入れました。10代のころって冷笑主義というか、夢なんか叶わないよ、という冷めた目線で社会を見るのが大人だと思ってしまう時期でもあると思うんです。ただ、それがコロナでひっくり返ったというか、人生はなにがおこるかわからないということを痛感したんですね。なので、ここには『自分たちが想像していることなんてちっぽけだ』『社会は簡単に一変する』という意味合いが込められています。その要素を映画にも残してくださっていたのは、すごく嬉しかったですね。
きっと陽彩と雅も、このあとは私の手の中には収まりきらない生き方をしていくんだと思うんですが、30歳とかになって、そのころは別々に暮らしているけど、安い居酒屋さんでお酒を飲むような関係になっているんじゃないですかね。2人とも幸せになってくれたらいいなと思いながら書いていました」
―――それを聞いて安心しました(笑)。実は南さんのインタビューでもこの質問をさせていただいていて、2人がバラバラになっていないといいね、と話していたので。
「物語の中の2人は、辛い現実が目の前にあって、そこをサバイブするために今この瞬間の共同戦線を組んでいるので、環境が変わればここまで密ではなくなるのかもしれません。関係性は少しずつ変わっていくかもしれないけど、友だちであることには変わりないのかな、と」
小説に込められた祈り
―――では、映画を観終わられたあとも、その余韻のようなものは変わらず受け取られましたか?
「ほのかに希望を感じるラストでしたよね。この小説自体が、いま辛い思いをしている、同じような境遇にある人たちに読んでもらったときに、最後に少しだけ上向きになってくれたらいいなと思って書いたものだったので、映画も同様にほのかな明るさやこれからの未来を感じさせるような終わり方になっていたんじゃないかなと思います」
―――なるほど、背中を押したいという思いで書かれた作品だったんですね。では、武田さんご自身が、陽彩たちが置かれている状況に対して問題意識を持たれていたことから生まれた作品だったんでしょうか?
「そうですね、大学生のころに、同じサークルにすごく仲のいい友だちがいて、お酒が入るとみんな自分の家の話や愚痴を話すんです。同じ大学、同じ学部で過ごしているのに、こんなにも置かれている状況が違うのかと結構大きな刺激を受けて、こういう話を書きたいと思いはじめました。
もう10年前になるので、景気という意味では今よりマシだったかもしれませんが、それでも経済格差みたいなものが問題視されるようにはなっていました。いまでは『毒親』という言葉も当たり前に定着していますけど、そのあたりもまだぼんやりとしていたと思うんです。でも、口には出さないけどみんな格差は感じていて、自分のすぐ横にいる人と全然違う環境で生きていることを強く意識していたので、そういう部分を可視化できるような小説を書きたかったんです。ただ、いま思うと大学生というだけでもだいぶ限られているんですよね。ある程度属性が固まった人間が集まっているはずなのに、あんなにバラバラなんだと考えると面白いです」
映像化による眼差しの暴力性
―――「愛されなくても別に」というタイトルも非情に強烈ですよね。愛される必要はないと肯定もしつつ、全く愛がないというのもそれはそれでどうなんだろうという含みを感じたのですが、武田さんはどんな思いを込められたのでしょう?
「メッセージとしては、相手が自分を愛しているからといって、それに応える必要はないよ、ということを伝えたかったんです。その当時私が読んでいた親子が揉める小説って、基本的に親があまり子どもを愛していないとか、悪い親から逃げるというものが多くて。でも、そうじゃなくて、愛されているのに自分が蝕まれているほうがつらいんじゃないかなと思ったんです。よかれと思ってやってくれているのもわかってるけど、自分がどんどん自分らしくいられなくなって…そこから抜け出す話が読みたいんだ! というのを軸にして書きました。なので、10代のころの自分に読ませてあげたくて書いた本ですね」
―――原作を拝読したときに個人的にすごく救いのようなものを感じたので、合点がいきました。一方で映画を観たときには、自分の無意識の加害性のようなものと向き合わされた感覚がありました。
「映像になると、眼差しの暴力性というか、直接的な視覚表現であるぶん、よりショッキングに感じますよね」
―――今回の映画化をきっかけに原作を読む方も増えると思いますが、そういう方にも救いが届いたらいいな、というお気持ちでしょうか?
「映像には映像の、小説には小説のよさがあるので、それぞれのよさを受け取っていただけたらうれしいですね」
【著者プロフィール:あまのさき】
アパレル、広告代理店、エンタメ雑誌の編集などを経験。ドラマや邦画、旅行、スポーツが好き。
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