高石あかりの演技がすごい! 実力派キャストの中で放つ“異質の存在感”が心に残る理由。映画『夏の砂の上』考察&レビュー

text by ばやし

映画『夏の砂の上』が現在公開中。本作は、主演・共同プロデューサーを務めるオダギリジョーをはじめ、松たか子、満島ひかりら実力派キャストが集結し、沈黙や言葉の間に漂う余白を通して、人が再び歩き出す姿を丁寧に映し出している。今回はそんな本作の魅力を紐解いていく。(文・ばやし)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】

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目には見えない感情の余韻

映画『夏の砂の上』
© 2025 映画『夏の砂の上』製作委員会

 カタチのある何かではない。手に掬い取れるものでもない。それでも、映画を見終えたあとには、長崎の街に取り残されたざらっとした手触りのある感情を、確かにその手に掴んだという実感だけがある。

 そして同時に、ここまで余白の多い登場人物たちを演じられるのは、誰もが納得する演技派俳優たちを、若手からベテランまで集める必要があったのだと、キャスティングに自然と納得させられる部分もあった。

 オール長崎ロケで撮影された映画『夏の砂の上』は、1990年代に作られた長崎出身の松田正隆による戯曲を、同作の舞台演出を手がけた経験もある玉田真也が脚本・監督を務めた作品だ。俳優・オダギリジョーを共同プロデューサーに迎えて、松たか子、満島ひかり、光石研など、言わずと知れた名優たちが揃う。

 これまで玉田監督が撮影してきた映画『僕の好きな女の子』(2020)や『そばかす』(2022)にも通ずる会話に漂う“生っぽさ”は、舞台となるカラカラに乾ききった長崎の街でも、むしろ汗ばんだ肌に張りつくような湿度の高い感情として、心にじめっと絡みついてくるようだった。

思いがけない訪問者が運んできた変化の兆し

映画『夏の砂の上』
© 2025 映画『夏の砂の上』製作委員会

 冒頭で、長崎の街に飛沫をあげて降り注いだ豪雨。その街に生きる多くの人々の運命を変えた雨の日から一転して、川のせせらぎや蝉の音が夏の到来を感じさせるなかで、小浦治(オダギリジョー)はひとりタバコを燻らせる。

 なじみのタバコ屋に寄って、自宅へと続く長い坂道と階段を昇っていく。まるで幽霊のようなおぼつかない足取りで治が歩くのは、彼の身に降りかかった悲劇に起因する喪失感によるものだ。

 幼い子どもを事故で亡くし、仕事にも夫婦関係にも軋轢が生じる。結果、同じくやりきれない思いを抱える妻の恵子(松たか子)とは別居。離婚の決意も固まらぬまま、彼女は元同僚の陣野(森山直太朗)と関係をもっていることを、狭い街の中で薄々と勘づいてしまう。

 ずっと働いていた造船所は潰れ、新しい職に就く気にもならずにふらふらと長崎の街をさまよう治には、職場の元同僚だった持田(光石研)や陣野でさえも気にかける。しかし、彼の喪失感は誰かにぶつけることで満たされるものではなく、まるで彼の心象風景を投影するように、長崎には一滴も雨の降らない日々が続いていた。

 そんな変わりない毎日に変化をもたらしたのが、治の妹・阿佐子(満島ひかり)が連れてきた17歳の娘・優子(髙石あかり)だった。聞くからに怪しい儲け話に乗せられて、ひとりで博多の男の元へ行く阿佐子は、治にしばらく優子を預かってくれと頼み込むのだった。

雨のない長崎が描き出す心の乾き

映画『夏の砂の上』
© 2025 映画『夏の砂の上』製作委員会

 夫と妻、伯父と姪、母と娘、恋人同士。関係性の違いによって、見せる顔もかける言葉にも若干の変化が訪れるのは当たり前のことだ。劇中で優子がくるくると回すガラス片に反射する光が、ひとつの場所をずっと照らすわけではないように。

 そんな本作の人間関係を象徴していたのが、職場の先輩であり、優子と親しい間柄になった立山(高橋文哉)が優子とともに自宅へ戻ってきた際、治と恵子がいざこざを起こしている現場に鉢合わせしたシーンだ。

 持田の訃報を突然知らされて家に戻った治は恵子と遭遇し、本能のままに彼女へと迫る。これまで妹の阿佐子や姪の優子の前では見せたことのない姿は、観客にとっても襖に遮られて影になっていた。立山の前で見せていた気怠けな姿とは一変して、伯父を心配する声色で話しかける優子もまた、はっきりと治の本性を掴みきれているわけでないのだろう。

 だからこそ、彼らのせめてもの優しさは下層にまで沁み渡ることはなく、乾ききった心を潤すまでには至らない。不完全にも父親を必死で演じようとする治も、そんな伯父を憐んで階段の上から恵子に言葉をぶつける優子も、乾いた心を懸命に振り絞った末の行動だったのだろう。やがて彼らの乾きは、本格的な水不足に陥った長崎の街とも重なっていく。

 雨によって区切られた治たちの日々は、“死”との隔たりを表しているとも言える。治の子どもの“死”と直結している雨の日の記憶は、劇中では詳細に描かれない。そのため“現在”や“現実”からは“死”が排除されて、すべて過去や幻想に移り変わっていく。雨の降らない長崎の街は、恵子に「本当におったとや。子どもが俺たちに」と訥々と語りかける治の思いを代弁するような演出でもあった。

若手ながら作品を支える高石あかりの存在感

映画『夏の砂の上』
© 2025 映画『夏の砂の上』製作委員会

 贅沢なキャストが集まった本作で、特に目を惹く芝居を見せてくれたのが高石あかりだ。オダギリジョー、松たか子、満島ひかりといった錚々たる面々が集まった本作でも、異色の芝居を披露していた。

 阿佐子が優子を連れて、治の自宅に訪れたシーンでは、恵子も含めて4人の主要キャストが一同に会する。基本的には、治と阿佐子の言い争いがメインだが、恵子と優子の佇まいにも目を奪われてしまう。限られた空間で繰り広げられる会話劇ながら、ささいな動作に彼らの人間関係を内包させて、ここまで観ている人々を惹きつけられるのは、役者たちの芝居が映像の隅々にまで張り巡らされているからだ。

 特に高石が演じた優子は、阿佐子の言うがままに連れて来られて、借りてきた猫のように大人しい。しかし、母と娘のやりとりには、抗えない距離をそこはかとなく感じさせる。治と恵子の関係性や、彼らの子どもが亡くなった原因に対しても、積極的に興味を抱く素振りは見せずとも、心の中で疑問を波立たせていることが伝わってきた。

 そして、流されるがままに恋人のような関係になった立山の前では、あまり感情を表立って見せることはない。ともすれば、冷徹だと思われてしまう態度をとっていても、なぜか高石が演じていると、心の奥に隠された寂しさや憂いが表情に帯びているように感じられる。高橋文哉の人懐っこい表情が映える役柄も相まって、彼らふたりの歪な関係を不思議と受け入れている自分がいた。

 まるで茹だる夏に地面から立ち昇る陽炎のように、目を離すと消えてしまいそうな危うさを持つ高石は、2025年度後期のNHK連続テレビ小説『ばけばけ』で主演ヒロインを務めることが決定済み。今後の活躍が益々、楽しみになる若手俳優のひとりだ。

“雨”が象徴する心の変化

映画『夏の砂の上』
© 2025 映画『夏の砂の上』製作委員会

 物語の最後には、水不足に陥っていた長崎の街に待望の雨が降る。しかし、彼らの後悔や喪失がすべて洗われて、何もかもが元通りになるわけではない。

 判が押された離婚届は恵子の手によって持ち去られ、優子と母親の関係性にも特段の変化はなく、街には治だけが取り残される。そして、治もまた、自宅に戻る途中でなじみのタバコ屋に寄って、いつものように長い長い階段を昇っていく。

 ただ、波風が立つことだけが、劇的な変化ではないのも事実だ。土砂降りの雨に打たれた治と優子は、何かから解き放たれたような表情を見せていた。決して忘れることのできない雨の日に見せたあまりにも晴れやかなふたりの素顔は、間違いなく彼らにとっての“変化”だった。

 実際、治が坂道を登ったあとの達成感は、いつでも一抹の寂しさへと置き換わる可能性を秘めている。それでも、砂が落ちきって止まっていた時間が、確かに動き出したと信じられるラストシーンだった。

【著者プロフィール:ばやし】

ライター。1996年大阪府生まれ。関西学院大学社会学部を卒業後、食品メーカーに就職したことをきっかけに東京に上京。現在はライターとして、インタビュー記事やイベントレポートを執筆するなか、小説や音楽、映画などのエンタメコンテンツについて、主にカルチャーメディアを中心にコラム記事を寄稿。また、自身のnoteでは、好きなエンタメの感想やセルフライブレポートを公開している。

【作品概要】

オダギリジョー
髙石あかり 松たか子
森山直太朗 高橋文哉 篠原ゆき子 /満島ひかり
斉藤陽一郎 浅井浩介 花瀬琴音
光石研
タイトル:夏の砂の上
公開表記:7月4日(金)全国公開
配給:アスミック・エース
監督・脚本:玉田真也
原作:松田正隆(戯曲『夏の砂の上』)
音楽:原摩利彦
製作・プロデューサー:甲斐真樹 共同プロデューサー:オダギリジョー
製作:映画『夏の砂の上』製作委員会 製作幹事・制作プロダクション:スタイルジャム 配給:アスミック・エース
© 2025 映画『夏の砂の上』製作委員会
#映画夏の砂の上
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【了】

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